ID:104448
暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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■神代文字の真実(16)-(20)
なほ今、更に顧みるに、b代に文字が在つたらうといふ論は、釋日本紀より古いものは未だ知らないのである。釋日本紀には別に「肥人之字六七枚許」が大藏省の御書の中に有ると云ひ、それは假名の體で「乃仁等」は明かに見ゆるが、明かでないものもあると云つてゐる。然るに本朝書籍目録には「肥人書五巻」と見ゆる。醍醐天皇の頃に六七枚許であつたものが、鎌倉時代に五巻も有るといふのであるから、同一のものとは必すしも云はれぬ筈であるが、從來多くの人はこれを同じものとしてゐる。さうしてこれもb代文字であらうと平田篤胤は論じてゐる。本朝書籍目録はこの次に「薩人書」といふ目を掲げてゐるが、巻數を示してゐないから詳かなることはわからぬ。平田篤胤は之もb代文字だと云つてゐるけれど、これらすべて證據の無い事である。たゞその肥人は、肥前肥後の國名から推せば、古の火國即ち肥國人のことであ
(P51)
らうし、薩摩國人を薩人と云つたのであらうが、それら邊鄙の地方に特殊の書體が行はれゐたのかも知れない。それ以上の憶測は行はるべきものではない。然るに、成形圖説がその釋日本紀の文を引用しつゝ「肥人之字」を削り、「b代文字」と攣へて記して以てb代文字存在の證としたことは、人を欺き古書を誣ふる罪輕からぬものであるのに、鶴峯戊申の如き學者がこれに附和雷同して、先代舊事本紀大成經の非を遂げしむるに止まらず、ますます其の妄を助長し曲解を逞くし烏有のb社の烏有の寶物に烏有の文字が彫り付けてあると云つて、そのb社、その寶物、その文獻をさも實在してゐる様に説き、遂に彼の天名地鎭を以て世界一切の文字の起つた源だなどと説くに至つたのは、眞に言語道斷の妄誕である。
かくして、今日の所謂b代文字と稱ふるものは一も信じうべきものでは無いのである。若し今日以後眞に太古の日本の文字と信ぜらるべきものが世にあらはるゝならば、それは四十七音でもなく、舊事大成經の唱へた「ヒフミ」乃至「ホレケ」の排列に成つたものである筈は無い。しかし、さういふ形をしたものでも後代の偽作は必すどこかに馬脚を露して識者を欺きおほせうるものでは無い。(昭和二十七年十月廿五日稿)
302 神代文字の真実(20)――結論 A 2004/01/18 20:38
こうして、b宮皇學館大學の初代学長により、神代文字は完全に否定された。21世紀の世でも伊勢神宮に所蔵された神代文字の写真がネット上で氾濫しているが、天界でさぞかし嘆いておられることだろう。去年の秋季大祭に皇學館大学の関係者が来賓として出席しているが、いったいどういうつもりで呼んだのだろうか。
◆「S教M光」誌H15年12月号 秋季大祭教示より
(P15) 今や人の生きる「徳目」と「礼儀」を教えるところは日本では、本日来賓としてご参拝なさいました皇學館大学、あるいは松江の淞N学園、そしてM光青年隊、また神社界や仏教界の僅かな団体においてしか見ることはできません。
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この論文が発表されて50年以上を経過し、日本の考古学は格段の進歩をとげた。しかるに、遺跡や古墳から神代文字の書かれたものは一切発見されていない。神代文字は古代文字の捏造であり、石器捏造と同一次元である。
http://lapin.ic.h.kyoto-u.ac.jp/subaru/subaru5.html
現在、日本で最も古い文字の使用例は、三重県大城遺跡より発掘された土器に書かれていた文字である。
http://member.nifty.ne.jp/japan/mie/ano/syutudoano.html
松江市の田和山遺跡から楽浪郡製のすずりが発見されている。
http://www.chunichi.co.jp/tokusyu/kouko/k20011004.htm
また、沖縄・与那国島の海底遺跡から、カイダ文字(象形文字)が発見されているが、これは表音(単音)文字の神代文字とは全く次元が異なる。
http://www.wonder-okinawa.jp/024/japanese/tano/hikarino/kaida/
http://www.b4ok.com/book/yonaguni/yonaguni.htm
日本の古代文字研究の今後の進展を期待したい。
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11月23日(火)
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