ID:104448
暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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■キリスト教から見て1
>57 本人( 道場長 )は、そんで幸せに感じてるんだから、哀れみを
持たなくてもいいんじゃない。わたしなら、こんな「 神試し 」を受けたら
ハァ???と思うけどね。 初代も人を見て言ってるんじゃない?
125 名前:名無しさん@3周年 投稿日:03/10/30 13:39
>>57
旧約聖書に似たような(?)話があったよ。神ヤハウェがアブラハムに対して、息子の
イサクを供犠として捧げるように要求した。これはアブラハムの信仰を試したのだという。
ググったら創世記22章らしい。まさか、これの真似をしていたわけじゃないよな。
そういえば、(崇教)真光誌で1回か2回読んだことのあるエピソードだが。内容から考えて
2月(御光誕祭)号か6月(聖日のみ祭り)号の真光誌の記事だ。古い組み手の体験談で、光玉氏と
組み手たちが茶話会か会食をしていた。光玉氏は自分が飲んでいたコーヒーを、組み手に飲ま
ないかと言った。体験談の組み手にだけか、その場の全員にか忘れた。体験談の組み手は恐れ
多くて飲めなかった。光玉氏は「私の飲みかけは嫌かね」とか何とかおおらかにいって、
組み手は申し訳ないことをしたと反省した。大体そんな話しだった。
読んだ時に、最後の晩餐じみているなと思った。イエスはワインとパンを、自分の〈血と肉〉
として十二使徒に分け与えたというもの。イエスのは自分の飲みかけではないようだが、
救い主様は最後の晩餐気分でおっしゃったのだろうかと考えたものだった(救い主様は自分の
前世とイエスは深い因縁があるとか言ってたしね)。これは考えすぎかもしれないけれど、
読んだ時に感じたこととして書いておく。仮に、何の気なしに光玉氏がしていたことだったと
しても、嵌まっている組み手(当時の私)は勝手に深読みしかねないという例にしてくれてもいい。
08月27日(金)
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