ID:104448
暴かれた真光日本語版
by 日記作者
[88059hit]

■076 gn
朝日ジャーナル1991・4・19日号に、西前輝夫記者が「激烈『宗教ウォーズ』すんで戦線恐々の国会議員たち」の記事で松平定堯氏を解説している。イラストが本文をよく説明してわかりやすい。鈴木都知事をかつぐ立正佼成会・妙智会VSニュースキャスター磯村氏をかつぐ創価学会・崇教真光・世界救世教MOA派の似顔絵。副題は東京都知事選異聞!
 
この朝日ジャーナル記事によれば

「磯村氏を支援した崇教真光教は、岐阜県高山市に本部があり、磯村氏の叔父の松平定堯氏が顧問を務めている。松平氏は初代教祖とは近衛連隊時代の同僚で、最近まで真光教のナンバー3の地位にあった。」

「磯村氏は選挙戦中、松平氏といっしょに都内約20の道場を回った。」
 
「2月27日、東京の両国国技館で開いた初代教祖の「生誕90年式典」に磯村氏は参加した。(ところが)鈴木支持の原文兵衛参院議員が(なんと)式典委員長を務めていた。磯村氏はあいさつの機会も与えられずメンツをつぶされた。」
  
朝日ジャーナルはこのように書いてある。
  
だが、もっとも基本的なことは陸軍士官学校34期(野砲)出身。光玉と同期・同級生。同じ釜の飯を食った仲間。青春時代をともに過ごした仲間。ということだ。
 
松平定堯氏は、特務機関で職務にあたり、昭和17年中佐として、前任・赤堀道太郎のあと、チタ満州国領事館付き武官。敗戦の20年までその役職にあった。いわゆる情報将校である。
 
オウムのがきが、テロがどうのこうのとサリンやエボラウィルス、炭疽菌を皇太子御成婚の日に亀戸でまいたというが、真光の幹部っていうのは、軍事面ではプロなのだ。
  
世界真光文明教団代表役員地位保全事件。

証人として尋問された、友森清晴氏。

友森(旧姓・馬場)清晴。

陸士34期(歩) 教祖・光玉こと岡田良一と同期であるが格段の出世頭である。軍歴でいえば光玉は、こういっては何だが落ちこぼれ。更にその名は陸軍大学校卒業生名簿に出ている。第46期(昭和6年―昭和9年)

この人の最終の階級は大佐。西部軍参謀副長で終わる。陸軍大学校卒後、最初の参謀職務は、軍務局徴募課。昭和16年ー17年 軍務局兵備課高級課員。軍務局は軍政の中心部署である。陸軍省兵務局兵備課は太平洋戦争中、総動員 動員 兵役各班が新設された。国家総動員の総本山といったところか。

友森氏はこのような重職にあったので巣鴨入りだったようである。

昭和29年名簿では、まだ「(巣鴨)友森(馬場)清晴 東京拘置所内」となっている。同名簿では29年現在、岡田良一は、住所もなく行方不明状態。しかし29年といえば相当世の中も豊かになった頃である。戦犯として、入っていたのだろうか。それしか考えられないが。疑問。


友森氏は、光玉より俗に言うエライさんである。エリート中のエリートである。それがまたどうして「神が見える」ようになってしまった戦友の手下になってまでも、担ぎ出す気になったのか?

愚かで迷信深い女達から金を集める団体を設立するとは。皇軍の誇りと過去の苦労を捨て、マムモンの神(金の神)に屈したのか?

オウムは高学歴犯罪集団と呼ばれるが、陸軍大学校卒業というのは、今の大學など比較できないほどのエリート中のエリート。学士様どころではなかったはずだ。

石毛省三 陸士34期(重砲)
  
---
      
世界真光文明教団代表役員地位保全事件

一債権者(関口栄)
 2証人工藤岑碩 同植松茂 工藤みね子、同金子敏雄の各証言および債権者本人(関口栄)尋問の結果を援用。

二債務者ら
 2証人友森清晴、同山本昌彦、同富田萬美、同石毛省三、同白崎智子の各証言および債務者教団代表者兼債務者教団代表者兼債務者岡田(甲子)本人の尋問結果を援用。

*( )は原文に今便宜上補足した部分。

これでわかるように甲子側、友森・石毛両氏は陸士34期。教祖と同期生。さて関口側、植松茂氏。このかたは、現在別の霊感商法裁判で娘が有名人。お気の毒である。


[5]続きを読む

04月28日(水)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る