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暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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■060 publicationsinJapan
私は本文のなかで、新宗教は日本の文化に深く根をおろしていると書いた。実際にその通りである。聖別されたコミュニティーのなかにも、官僚主義とことなかれ主義の日本があり、もっぱら自分の失点だけを恐れる中間管理職がいて、ひとりではなにも判断のできない日本の「サラリーマン」がいる。しかし、私はそれをとやかくいおうとは思わない。この国の「構造改革」の進展をただ祈るばかりである。
〔解説〕
著者は各教団より「言論弾圧」を受けたとはっきり述べている。単行本202頁には『注』として、「『抑留敵国民虐待』『BC級戦犯』『二.二六事件』は当教団とは一切関わり合いがございません」との教団の見解が述べられている。これは、海外HPで「南京大虐殺」にかかわっていた可能性を指摘されたことに対する反論といえよう。
ところが、初代と二代目の出会いに関しては全く注釈されずに書き換えられている。「あとがき」を読めばわかるように、あきらかに崇教真光は正々堂々と反論することなく、『隠密裏の削除と書き換え』を要求したわけである。つまり、「芸術新潮」の記事は真実だったため、教団としては反論できなかったといわざるをえない。当初の雑誌記事を修正することなく原文のまま単行本化したなら、教団は「事実無根」で突っぱねられるが、一部だけ反論文を掲載させ、反論不能な箇所のみ『隠密裏の削除と書き換え』をさせたとあっては、この箇所は真実だったといわざるを得ない。
もし『信者感情』を崇教が持ち出したとしたら、全く筋違いだ。村上正邦や小山孝雄の指示署名を信者にさせておいて、そんなことが言えるわけがない。これは国立国会図書館の雑誌記事索引に収載され、全国の大学.研究所の図書館に架蔵された専門雑誌への重大な冒涜である。この書き込みを読まれた方は、国会図書館HPより文献コピーを請求し、単行本とじっくり比較精読していただきたい。教団からの「言論弾圧」に対する、著者の最大限の抵抗が理解できるだろう。
歴史事実を出版しようとする者に対して、「言論弾圧」を行うのは神道考古学や博物館学に反する行為である。発掘石器に疑問を抱くものに対し発言をさせようとしなかった、石器捏造犯人と同一次元である。光記念館に展示された教団史は捏造であり、石器の捏造と想念レベルは同一である。もはやこのような団体は、県登録博物館の開設者として不適当である。
教団幹部が『隠密裏の削除と書き換え』を要求した時(オウム事件のしばらく後)は、ブロードバンドの利用者が急カーブを描いて増加し、ネットによる教団批判が急進展をとげるとは全く考えていなかったようだ。所詮は、小山孝雄や村上正邦の逮捕すら予測できなかった連中の集まりだ。
〔参考〕
(1) 宗教団体による出版妨害事件として有名なものに、藤原弘達氏が著した「創価学会を斬る」がある。
http://www.jcp.or.jp/faq_box/001/991028_faq_komei_sg.html
(2) 人はいま、なぜ新宗教に走るか〔5〕――「世界真光文明教団」ヒトとカネの抗争.分裂。(内藤国夫著)
「現代」(講談社月刊誌) 1987年8月号 338−353頁
<345頁>
世界真光文明教団が、その前身である「L.H陽光子友乃会」を名乗って立教した昭和三十四年当時からの生えぬき幹部であった田中清英氏は、関口栄.二代教え主よりも古参である。それゆえに関口教え主としても崇教局長というナンバー2で厚遇し続けた。
ところが初代の高弟でありながら、田中氏は昭和四十七年五月、初代から追放されて教団を離れている。真偽のほどはともかく、初代の養女である恵珠さんに手を出したからとか、いや、養女は実は初代の側室であり、二人の奪いあいになったとかの噂がとびかう。田中氏本人は、「初代が狂ってしまったので、ついていけなくなった」と周囲の人に語ったことがある。
いずれにしても、三百万円の退職金が支払われての退会だった。
(この記事は、田中清英氏のみならず、依田君美、矢井清勝、津田忠利、黒田みのる各氏による分派独立も詳しく解説しており、一読の価値がある。ただし、内容はやや関口氏寄りとの印象を受ける。)
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01月27日(火)
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