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暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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「白豪(びゃくごう)」といって釈迦の額にあるのと同じようなものであった。不思議なことに、立教以前の写真にはどれを見ても白豪がない。そして死の直前にそれは消えている。神の許へみまかる準備が出来たからだ、と言う人もいれば、いや、晩年の光玉は金や宝石を身に付けて奢りだかぷっていたから神のお叱りを受けたのだと言う人もいるが、真相は判らない。
前出の佐々木朝則はこんな思い出を語る。
「昭和四十九年六月のことでした。多田建設の社長が石の塔を寄贈することになって、私は、当時先生が住んでおられた熱海へそれを据え付けにお邪魔をした。どうもお身体がすぐれないように見えたので、『先生、大丈夫ですか』と申し上げた。先生は『大丈夫だよ』と言っておられたんですが・・・・・・」
神の啓示が突然襲ったように、死もまた光玉に突然訪れた。
「北海道へ行かれることになっていたんですがねえ。気持ちが悪いといって休まれて、そのままでした」
伊豆・本山の第二代教え主・関口栄が語る教祖・岡田光玉の最期である。佐々木朝則が会った直後のことであった。
岡田光玉の死後、これもよくあるように、教団は二つに分かれた。伊豆に本拠を持つ「世界真光文明教団」は幹部だった関口栄が第二代教え主として継承し、高山の「真光」教団は光玉の養女・岡田恵珠が継承して、ともに急速な勢いで発展を続けている。
【解説】
「教祖誕生」は、新潮45に連載されたドキュメンタリー小説で、加筆修正のうえ、1987年に新潮社から単行本が、1994年に講談社から文庫本が出版されたが、現在はいずれも絶版となっている。単行本と文庫本はネット古書店で購入できるし、公立図書館で閲覧も可能である。新潮45と単行本の間には、大幅な書き変えはないが、一部削除された箇所をお見せする。
新潮45 1985年5月号(4巻5号) 112-121頁
「教祖誕生」―陸軍中佐岡田良一を襲った「真光」の啓示― 上之郷利昭著
(P116) しかし家庭での光玉は大変激しかったと娘の一人はこう語っている。
「口をきくにも襖(ふすま)の外からおうかがいを立て許しが出たら、襖の開閉(あけたて)をきちんとした上で、用件を申し上げるという形式を踏まなくてはなりませんでした」
01月25日(日)
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