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暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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■038 pseudoscience
アヒルモジは諺文(ハングル)系にして、明らかに北方大陸的陰影をもち、アヒルクサモジはヒリピン古字に近く、南方諸島的色彩に富んでおり、まったく別個な成りたちの古字なのである」(『地球ロマン』誌復刊5号/「神字と言霊――コトタマの影を追って」より)
阿比留草文字がフィリピン古字とどう似ているのか確認するほどの知識は持ち合わせていないが、篤胤か楷書体とした阿此留文字かハングルに酷似していることは解る。ハングルと阿比留文字とのあいだには、どうやら深い闇が横たわっているようだ。
また吾郷氏が指摘された豊国文字は山の民サンカか伝承した文字で、『上記(ウエツフミ)』に登場することで知られる。豊国文字――これまたスリリングな歴史の解読作業をもたらしてくれる文字なのだが、それに関してはいずれの機会に委ねたい。
<神代文字否定輪>
地図を広げてみると、阿比留文字を伝える対馬は、九州と韓国を結ぶちょうど中間地点に位置していることが判る。そのような場所にハングルに似た文字があるということは、単純に考えても、少なくとも対馬と韓国とのあいだに交流の歴史が存在したことを物語っているといえよう。
事実、対馬は古代から、大陸およぴ朝鮮半島と日本との交通の要衝であり、江戸時代には朝鮮との交流が許可された唯一の地域だった。対馬に伝わる風俗・風習は、日本文化の基層を考えるうえで重要な鍵となるものが多い。
ところで1940年、韓国・安東の旧家で一綴りの木版本が発見された。そしてそれこそが『訓民正音』の唯一の伝本であった。『訓民正音』木版本の発見によって、それまで伝説に包まれていたハングル成立過程の一端が明らかになっていく。
――母音は天地人を象(かたど)り、子音は口腔内の舌の形態を象っている……ハングルはきわめて合理的な文字体系であることが証明されていった。
それまでも上代特殊仮名遣いを解明した国語学者・橋本進吉らによって、上代音韻論の立場から、阿比留文字=漢字以前の和古学とする神代文字論は否定されてきた。さらに木版本発見によって否定論は拡大・加速する。つまり「阿比留文字はハングルの偽作である」というわけだ。しかし、ほんとうに阿比留文字はハングルの偽作なのだろうか。
木版本発見は神代文字否定論者を色めき立たせた。だが、阿比留文字をもって「漢字以前に日本固有の文字が存在した」とする篤胤の主張が崩れたとはいえ、阿比留文字そのものの存在までが根底から否定されたわけではない。阿比留文字――それははたして何なのか。
たとえば、こうは考えられないだろうか。
――北部九州は速く古代より朝鮮半島と交流を密に展開した地域だった。その中継地点である対馬も、当然のことながら半島からの風を正面から受けた。というよりもむしろ、北部九州―対馬―朝鮮半島は共通の文化圏内にあったのだ。
だとするならば、ハングルに似た文字が対馬に伝えられているのは、きわめて自然ななりゆきというべきであろう。問題はハングルに酷似した阿比留文字の解読方法にあるのではないか。
否定論者は否定の根拠を「阿比留文字が五十音で構成されている」ことに求める。そしてそれは、篤胤や他の神代文字論者も主張するところだ。ほんとうに阿比留文字は五十音でもって構成されているのだろうか。もしも五十音でなく、もっと多様な音をも含む文字だとすると、「五十音だから上代の文字ではありえない」との主張は意味をなさなくなってしまう。
また、こんなふうに考えを進めることはできないだろうか。 ――言霊(コトタマ)への信仰とともにわが祖(おや)たちは、文字に対しても神秘的な呪力を感じていた。聖なる空間・場所にまつわる護符が必ずや奇怪な文字によっていることからも、それは了解されよう。
文字に対する信仰。ハングルのごとくシステマティックな文字が出現したとすれば、彼らのあいだにやはり素朴な信仰心が発生しても不自然なことではあるまい。
しかし……かりにそうだったとしても、ハングルの成立時期と阿比留文字の成立時期をめぐる問題は解決しない。超古代なのか、それとも十五世紀以降のことなのか。
(中略)
すなわちシャーマニズムが権力=政治システムと化したとき、はたして何が現われるのか。
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11月25日(火)
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