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暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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■朝日VS毎日
 中佐で退役後、陸軍の航空機政策会社をはじめ、製塩、炭鉱、材木など戦時会社を四社興したが、終戦直前の空襲ですべてを失ってしまう。しかし「三年」のはずの生命が、すでに五年も生きのぴ、腐るはずの骨が蘇生していたことに気づいて、神仏への感謝と祈りに生き、開発会社を経営して借金を返済し終えた34年から、救世の人生が始まった。
 その年の2月27日未明、高熱を発して夢うつつの状態になったとき、突然の神示を受け、「崇盟五道」(キリスト教、仏教など五大宗教を統合帰一する大元の教え役)と「與崇賀従道」(神の地上代行者)の”み役”を与えられたという。
 一ヵ月後、教団の前身である「L・H・陽光子友乃会」を東京・神田須田町で創立。LとHは、ラツキー(幸運)とヘルス(健康)の意味だった。当初の神組み手は33人、自転車で布教にまわる日々で教勢発展は遅々としていたが、37年元旦「火の洗礼」の第一年にあたるという神示を発表してからは一変。翌年11月には、宗教法人「世界真光文明教団」を設立、以後パリ小道場(47年)をはじめ海外国に教勢が及んで、神組み手も20万人、30万人と急増した。ローマ教皇らと並ぶセント・テニス・ザンテ勲章の叙勲(47年)、パウロ六世との会見(48年)なと世界的な宗教者の地歩を固めた。
 岡田恵珠・二代教え主は、救い主の令嬢。神示にもとづいて、祖師の“み役”のすべてを受け継ぎ、現界において、さらに大きく実践する使命にあたっている。飛騨高山に世界総本山建立―の神示を発表したときから、教団名を「崇教真光」とし一層発展させ、予定とおり建立を果たすなどめざましい活躍ぶりである。崇教真光の教勢は、9月現在、51ヵ国80民族40万人を記録している

【批判】朝日と毎日、どちらの文章を信用するかは、各自の判断にまかせる。最近、崇教真光は初期研修テキストの巻末に新聞記事の転載をしているが、朝日の記事は全く無い。岡田恵珠氏は小山孝生・村上正邦の逮捕後、公式謝罪を一切しないような人物だから、経歴をごまかすのも全く平気であろう。
 源伸君は、次に書くように大学の先生の書く文献は信頼性が高いとしている。岡田晃弥氏が『神道考古学』を学んだ大学の『神道文化学』の教授の書いた文献なら当然信頼できるわけだ。(今はなつかし源伸君のネットデビュー作である)

10月23日(土)
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