ID:104448
暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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■手かざし全般に関してあれこれ3
霊動が出そうな人には霊動が出るように念じて気を送るとたいていその通り出ます。
気にくわない人に対しては思いっきり気を送ってやります。すると頭がぼおっとしたり
だるくなったりしてダウンします。気功では当たり前のことなんです。
笑ってしまうのはだるくなっても「清浄化」なんて感謝したりする。爆笑もんです。
額に気を送るなんて気功では危険すぎるから普通はやらないことなんです。
真光では堂々とできる。これで遊ばせてもらいました。
668 :名無しさん@3周年 :04/09/26 16:34:54 ID:PLV2P5fR
>>666
>なんらかの行をしていた・・
今思えばきっとそうに違いない。
その頃の私の師もすごかったですよ。
(私はこの人が入信していたから自分も入った。
で、やめはったから自分もやめたんですけど)
ある日、その人から背中のお清めうけているとビンビンと圧力がくる。
スゲ〜と思ってチラっと後ろを盗み見ると、
その人、手をかざしながら週刊誌を読んではった。
なんも集中していない・・w
でも、普段おきよめの時互いに格の違いとかあるみたいで、
格上の人には手かざししても、こっちからより相手から気が来てました。
不思議なものよの〜
ほんで、霊動ですけど。
道場行ってた頃、よく出ました。
千手観音みたいなやら踊りみたいなやら、いろいろ。
目をあけるとおきよめ相手のおばちゃん、毎回目を丸くして驚いていました。
あんまりひんしゅく買いそうだったので、
それ以後、霊動だすのやめました。w
669 :名無しさん@3周年 :04/09/26 16:47:07 ID:Yo9kHDCX
>>665
>感じる感じないはあっても、たぶん誰でも持ってる能力なんじゃないかな、
>と思います。
>>666
>気功では当たり前のことなんです。
>笑ってしまうのはだるくなっても「清浄化」なんて感謝したりする。爆笑もんです。
>額に気を送るなんて気功では危険すぎるから普通はやらないことなんです。
真光の「お浄め」と「御み霊」「御神体」は関係がないわけですね。
本来、手かざしは人間に備わった能力で十分にできるもの。
神様は「御み霊」なんぞなくとも、ちゃんと「お浄め」できるようにこの世に送り出して
くださっているのです。
それなのに、やれ「霊線」だ「御奉納」だ「御無礼」だと右往左往していては、まことは
神の御心には沿わないことなんです。
>>664
>お位牌だの戒名だの日本的過ぎる。
日本だって、神道やキリスト教で先祖を祀っている家には位牌も戒名もありません。
皇室に戒名や位牌がありますか?(過去には、仏式で葬送された方もいらっしゃいますが)
位牌や戒名の習慣のない多くの国の人々は、みんな「戒告」に悩まされているのでしょうか?
真光と同じく「万教帰一」を唱える『生長の家』では祖先伝来の祭祀を継承することを教え
ています。
むしろ、戒名よりも「俗名+比古命(比売命)」というほうが、亡くなった霊魂にはわかり
やすいと説きます。(神道の形式に似ています)
祖霊の祀り方に一定の決まった形式など存在しないのです。大切なのは子孫の『心』です。
★☆静岡中伊豆にある世界真光文明教団の謎(5)★
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/psy/1118029601/
500 名前:名無しさん@3周年 投稿日:2005/09/12(月) 23:43:07 ID:5uvtNqmt
昔から修行者を誘惑するのは奇跡や不思議な出来事、あるいは悟りに
似た体験である。これらに拘ってしまうと修行が横道にそらされてしまう。
下手をすると霊につかれたように変な考えに取り付かれるようになる。
いわゆる魔境に入るというやつである。
道を究める者は「いちいち奇跡や不思議な出来事に興味を持ってはいけない。
釈迦やキリストが出現しても追い払え、悟りのような至福の体験をして
も自分が解脱したなどと思ってはいけない。何が起こってもいちいち執着
せずに道に励め!」と教えられるものである。それが道というものである。
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07月21日(水)
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