ID:104448
暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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■(たぶん真っ当な)宗教、宗教のあり方などを語る1
間違ったもの選んだ為に、その身を亡ぼしてしまうであろうことくらい、
きみだって解かるだろ?


322 名前:名無しさん 投稿日:2001/06/17(日) 12:15
>>320

なんだかきみは、俺の言ってることが解かってるのか
解かってないのか、よく解からんね(笑

まず、きみは「信仰」という言葉を取り違えてるぞ。

>自分自信がやってみない事には、
>自分自信で判断する事は出来ない。
>そういう姿勢そのものが、信仰の世界

これは信仰の世界とは言わない。
「やってみないことには解からない」状況は
信仰とは言えず、いまだ迷走世界にいることを指す。
何度も言うが、信仰とは没我して信順・随順する世界だよ。
没我して随順する以上、めあてとするものに対して慎重に徹底的な確認
を取るべきであって、それにはおのれの五官をフルに使い、智慧を使う
べきだと俺は言いたいのよ。
裏を返せば自分を守るということにおいて、そういう前段努力と慎重さを
欠くような安易な入信、"犬も歩けば棒に当たる"的な入信のしかたを
してはいけない、っちゅうことだ。


325 名前:名無しさん 投稿日:2001/06/18(月) 01:07
>>323

俺が言ってるのは、信仰を持つ前の段階のことだ。
信仰を持ったら最後、突っ走るしるしかないんだ。
しかし、全ての宗教が同等をもってその信仰の方角が正しい、
と言いがたいのはきみにだって理解できるだろ。

きみ自身、その坊さんの話を引き合いに出すなら、
これにならって話そう。。
人生に対しプラスアルファを宗教に期待するという
考え方がある。生活の為の補強材や調味料としての信仰。
生活の中に信仰を持つという捉え方だ。。
これは人間を樹木にたとえるなら、外見の枝を立派にし、
なんとかきれいな花を咲かせよう、という考え方だ。
悪いとは言わないが、しかし、本当の宗教というのはそんなもんじゃない。
枝葉や果実の以前に、人間という存在の根幹もしくは樹木そのものを問うの
が宗教なんだよ。
つまり、信仰は生活の中にあるものではなく、信仰の中に生活があるんだ。
だから信仰というのはあった方がいいというなまやさしいものではなく、
きみがAという宗教を選び信仰(没我)したら最後、それを体現しなければ
ならない原則や義務が同時に伴うわけだよ。((これは出家主義-在家主義の話とは違う))
それだけむちゃくちゃな前提を要求される「宗教」、一歩間違えたら
社会から糾弾制裁されるやもしれない社会行動を隆起させる「宗教」というもの
を選ぶ局面で、個人の能力差は別においてその信仰の方向が間違っているかいない
かの判断に最大限の努力を払うべきだと言ってるんだよ。。
俺が指した「信仰の真偽を問え」というのはそういう意味だ。
その上で正しいと判断すれば没我し信仰するしかない。



ある偉大な聖者の残した言葉

■■■ 真光関係者集合!!(44)■■■
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/psy/1156380830/

934 名前:名無しさん@3周年 投稿日:2007/02/01(木) 18:43:59 ID:zczPwJSP

ttp://space.geocities.jp/mindmanipulate/syuukyou.html
にこんなん ありました。

840 :名無しさん@3周年 :04/02/01 15:44

○神占がよくあたりたりとて、すぐに神と信ずるなかれ。
○一時病が治りたりとてすぐにこれを神と信ずるなかれ。
○悪魔は人の心を読みて、人を驚かせ恐れしむることあり。
○病を一時救いてその人の心を奪い、後に悪魔の仲間へ誘わんとすることあり。
○悪しき霊は悪しき姿にて現れず。必ず善の仮面をかぶりて来たり、偽りの善をなし偽りの誠を立つるものなり。
○心浅く愚かなるものは、心の眼なきゆえに悪魔を善神と見あやまりて神にそむくことあり。

これはある偉大な聖者の残した言葉です。
○○○さんの体験していることは、もしかしたら「低級霊の幻惑」かもしれません。

不可思議な事象を盲目的に信じるのではなく、気をつけたうえにも気を付けて、

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