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暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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■崇教真光と考古学 その1(教義1)
「(前略)……私の踏査研究では少なくとも六十万年前と思われる日本の石器文化は、巨石器文化時代にサカノポロウとしています。世界最古のものとして、世にクローズアップし出そうとしていることは、世界人類史にも日本皇統の宏遠さが浮彫りにされるのも遠くないでしょう。」
崇教・真光誌平成8年11月号 P10-
平成八年十月度 月始祭 教え主様御教示
『人類歴史の大曲がり角』
秋涼の候となりましたが、陽光子神組み手は愈々正法神向き信仰を深めておられることと存じます。
神の御経倫は日進月歩の勢いで進展しております。御経論に即応した魂霊の昇華″が求められております。
陽光子神組み手の更なる「想念転換」「意識の変革」がなされなくてはなりません。
「天意の大転換」により、今までの常識や通念では解決出来ない事が次々と起きており
ます。歴史・宗教・科学・経済・政治の万般に亘りまして大変革が起きつつあります。
例えば、近年まで牢乎として動くことのない「歴史迷信」が崩れ出してまいりました。
戦後、この歴史迷信を切り崩す端緒となりましたのは、群馬県新田郡で発見されました
「岩宿遺跡」でありました。岩宿遺跡の発見は、わが国の旧石器文化に画期的な一ページを開きました。
この旧石器を発見いたしましたのは、相沢忠洋先生でございました。
それまで日本には、一万年以前の石器は存在しないとされておりました。ところが、相沢先生は納豆の行商をなさりながらコツコツと探究を続けられました。
ある日、切り通しの赤土の中から黒曜石で造られた見事な石器を発見したのであります。
茲に、日本の「旧石器時代」の存在が初めて明らかとなりましたわけでございます。
御祖師・救い主様は、群馬県に御巡光あそばされます度に、相沢先生と共に岩宿遺跡や夏井戸遺跡をお歩きになられました。
その折、救い主様がステッキにて地面を指し示され、「この下から遺跡が出ますよ」と
おっしゃられますと、間もなくその場所より貴重な遺跡が発見されております。
爾来、岩宿、夏井戸遺跡から次々と旧石器が発掘されております。
救い主様が「まだまだ古い石器が出ますよ」とご予告なされました通り、夏井戸遺跡では三十万年前の石器が発掘されるようになりました。
しかし、当時の学会は、これをなかなか認めようとはしませんでした。
近年、宮城県座散乱木遺跡や馬場壇遺跡の発見により、旧石器時代は十万年以上に遡ることとなりました。これにより、それまで反対しておりました学者も、前期旧石器の存在を認めざるを得なくなってまいりました。
そして平成六年には、同じく宮城県上高森遺跡において驚くべき発見がなされました。北京原人出現より十万年も早い、なんと六十万年前の地層から見事な旧石器が発見されたのであります。遺跡の表面には火で焼いた跡がありました。これは北京原人よりも古い時期に、日本原人が火を使用しておりましたことを意味しております。この事実が確認されれば、”最古の火の使用″を裏付ける大発見となります。火の使用は、人類の文化・文明を起こす基であります。火の使用によりまして、生活環境は飛躍的な向上を遂げるわけでございます。
発見されました十五点の石器は、赤い碧玉製の石器を中心として、放射線状に並べられて出土いたしました。このことから、原人にはきれいに並べる美意識があり、豊かな精神性を持っておることが分かります。
わが民族の遠つ世の祖先は、少なくとも六十万年前の太古の昔から神祀りを行ない、死者には副葬品を供える習慣がありましたことを示しております。
茲に、「人類歴史」は大きく変更を迫られる天の時が到来いたしました。
[550]崇教真光と考古学 05/10/06 14:08 9Hqd6qPk93
神歌に、
あかときの 神の光のさしそめて
人類歴史の大曲がり角来ぬ
めざめかし 人類歴史は正法に
書き換うる外なき魁の時
とございます。
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09月29日(木)
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