ID:104448
暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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■在ペルー日本大使公邸占拠事件
そこには「新宗教の信者が(人質たちが気落ちしない様?)に雰囲気作りに努めていた」
という感じの事が書かれていたと思う。ソース出せなくてすまん。
78 名前:在ペルー日本大使公邸人質事件4 投稿日: 2007/12/07(金) 11:08:40
2.崇教真光誌の記事
「日本大使公邸人質事件」での御守護記事あり。
崇教真光 424号(1998年1月号)
P.75 海外だより 「日本大使公邸人質事件」での御守護
報告 ラテン・アメリカ方面(ペルー国)リマ中道場 道場長 H・K
(抜粋)
……実は、百二十六日間にわたり囚われの身となっていた七十二名の人質の中に、
一人の神組み手がいらっしゃいました。ペルー国会議員のE・P氏がその方です。
……また、P氏は、百二十六日間の監禁期間中に、ほぼ全員の人質に手かざしを
されたそうです。
ボリビア国政府がMRTAの解放を拒んでいたため、同国の大使は、当初武装
グループから様々な嫌がらせを受けておられたそうですが、お浄めを受けられることに
よって、段々とそのような迫害を受けることがなくなり、み光の素晴らしさに驚いて
おられたそうです。
その他にも、Pさんが賜わられたご守護の数々は、挙げればきりがありません。
しかし、ただお一人だけ、最後までお浄めを許されなかった人質の方が、事件解決直前に
亡くなってしまわれたことは、大変残念なことでした−−。
79 名前:在ペルー日本大使公邸人質事件5 投稿日: 2007/12/07(金) 11:25:00
P76-79 人質としてのご神業体験
ペルー国リマ中道場E・P(写真入り)
(P77 抜粋)
……まず最初の取り組みとして、敢然と「真吠え」を実践させて頂きました。すると、
一人また一人とお浄めを希望する方が増えてきて、毎日欠かさずに三名の方々に
お浄めをさせて頂きました。
……こうして、監禁期間中に、ほぼ全員の人質に手かざしのお許しを頂きました。
しかし、どうしても手かざしを受けて下さらなかった方が一人だけいらして、
その方をお救い出来なかったことは、今でも残念でなりません……。
(コメント)
崇教真光誌では実名の道場長と組み手の議員をイニシャルにした。
ペルー軍特殊部隊の突入で亡くなられたのは特殊部隊隊員ではファン・バレル中佐と
ラウル・ヒメネス中尉の2人、人質ではカルロス・ジュスティ最高裁判事1人、MRTA
14人は全員死亡している。真光が話題にしているのは「人質」の犠牲者である。
道場長の文章ではお浄めを受けなかった人質が一人だけでその一人が亡くなったとは
断定しかねるが(受けなかった人質が複数いたとも取れる)、P氏が「どうしても手かざしを
受けて下さらなかった方が一人だけいらして」と体験談でいっているため、双方を併せて
一人だけ受けていない人=人質の(唯一の)犠牲者と主張している、といえる。
そこまで細かく見るまでもなく指導部長からそう聞いたという組み手の証言があるが、
形として崇教真光誌に残っているもので確認できたのは大事なことである。
80 名前:在ペルー日本大使公邸人質事件6 投稿日: 2007/12/07(金) 11:30:49
3. 一般誌・一般書籍における人質の体験談
a. 文藝春秋1997年7月号
幽囚日記 八〇枚 我、ペルーの土と化すとも 青木盛久(前ペルー大使) P120-141
(崇教真光誌 E・P氏の体験談の後、広報部註で紹介あり)
P128
食事が済むと、チェスや将棋を指すものもいたが、ゼミが始まることもあった。
ペルー人の国会議員の人質の中に日本の新興宗教の信者がたまたまおられて、
人質になった当初は手かざしなどをなさっていたが、彼の提案で、ゼミが始まった。
いくつものテーマで、代わる代わる講師になる。日本人の人質の方は、自分の企業の
活動状況を話したりする。いつも賑やかだった。語学講座と相候って、ペルー人、
日系人、日本人それぞれの文化交流が果たせたように思う。
P136
ジュスティ判事が亡くなられたのは、爆発が起き、あわてて納戸に隠れたのが禍い
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08月23日(火)
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