ID:104448
暴かれた真光日本語版
by 日記作者
[87234hit]
■スレ33-35
102、105、106、107、108、109、110、114、148、151、213、214 、215
100
洗脳された人間に何を言っても無駄。
何を聞いても真光の教えと共通な部分だけ耳に入り、
異なる部分は聞き流して忘れる。〜
143
>>140
組手はいつもこう言う
「寄付は強制じゃない。払わなくてもいい」
「辞めるのは自由」
「布教活動も自由」
しかし、辞めると霊にやられる、地獄へ落ちるという心理的恐怖
が絶えず加えられ辞めることなどできないようにしている。
寄付(御奉納)も布教(お導き)もしないといたたまれないような
雰囲気がある。心理的圧力があるのだ。〜
227
本山で第一回上級研修の受講条件は、通常中級研修受講後より5名以上のお導きがなければ受講資格
が必要した。〜
責任を取ってくれよと口論になり、真光を辞めました。それから10年が立ちますが、真光
の言う霊障なんか一度もありませんでした。
228
私も227さんと同じです。
真光を辞めましたが、何も起こりません。
むしろ、真光を辞めてすっきりしてます。
ただ、真光をやって一つ思いました。
「幸せは、真光を辞めた後に待っている」と。
237 真光の手法
真光は、外見は「あったかい」です。だから「破壊的カルト」には見えません。 〜
「見せかけのすばらしい教え」に納得してしまうと、「取り込まれて」しまいます。
246
よねさんは、以前から「信仰は個人的なもの」とだとよく口にしてますが、すこし考えてみたいと思います。
たとえば絵画や音楽を鑑賞したときに「美しい」と感じるのは、私的問題(個人的な問題)・主観的な
問題であると言えます。
しかし真光信者が判断(信仰)する、「神が(事実として)存在する」とか、「霊主心従体属の法則」とか、
「トンデモ歴史」とか、「手かざしの効果現象」などは、美しいとか汚いと感じるような、各人の心の現象
で評価されるものとは異なり、公共的事実に関わる問題です。 〜
公共的事実の問題にずかずかと踏み込んだり、宗教と科学は本来整合するなどと豪語する宗教に、とりわけ
「信仰は個人的なもの」という言葉ほど似つかわしくない言葉はないと思います。
304 (他掲示板コピペ)名前:みっけた!
お名前: どんどん
「批判系のサイトは見てはいけない」といった主張には、宗教的ドグマの保守以外に
合理的な理由はないと思います。(宗教的ドグマ自体には合理性はありませんが)
よほどの理由がないかぎり、人間の自由は束縛すべきではない、とわたしは考えていますが、
自分の宗教的・道徳的信念を他人に押し付けることこそ非倫理的で野蛮な行為だと思います。
情報選択の機会(自由選択)すら摘み取ってしまうような思想が、はたして「真実をめざして
いる」といえるでしょうか。
[2005/01/23 11:06:33]
310 辞めたい
今辞めると、お世話係が押しかけておし問答です。(鬱 〜
319
「カルトMCを溶く」
カルト信者と対峙する場合は、
アタマから罵詈雑言で否定すれば、逆に組織の正しさを証明する事になっちゃう仕組みですから。
怒らせれば(実はカルト信者に怒る資格は無いのですがw)台無しです。
世間話からはじまり、他教団や詐欺などの手口を、紐解くように露わにしながら
最後に「○○○も、同じなのだよ」と帰結させるのがベストです。
相手も自分も、謎解きの快感がありますよw
でも衝突しちゃうのはある程度しょうがないですよ。「3歩進んで2歩下がる」がお勧め!
327
〜
>310
3年前にこのスレを参考にしてへタレ組織を抜けさせて戴きました。
テンプレにあるように内容証明を総本山に直接(これが重要。
ただ退会届を支部に出しても握り潰されるが、本山に送付すれば
退会した旨が支部に送られて来た模様です)送付しました。
で、例え親兄弟恋人と言えど信者と一切関わりを経つ。
(一人暮らしで遠くへ引越し(私は宮城→山梨)・電話にも出ない)
[5]続きを読む
02月10日(木)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る