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暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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■1996仏議会とセクト(1)-(5)
 しかし、93年にアメリカのテキサス州ウェイコで集団自殺したブランチ・ダビディアンの事件、94年にスイスと力ナダで同じく集団自殺を遂げた太陽寺院の事件、そして95年のオ○ム真理教事件と立続けにセクトがマスコミを賑わした。とくにオ○ム真理教事件は決定的だった。どんなテロリストも実行したことのない無差別ガス攻撃がセクトによって敢行されたのだから。信者達個人の枠を越えてセクトの危険性は、祉会全体を脅かすようになったのである。
 日本では宗教法人法改正を焦点とする参議院選挙たけなわだった昨年6月29日、国民議会は調査委員会の設置を満場一致で採択した。そして12月22日、172の団体を実名でリストアップした報告書が提出された。アルプスの麓で太陽寺院信者16人の死体が発見されたのはその翌日のことである。冒頭の発言のあった2月8日の本会議報告討論では、力トリックシンパから共産党まで全党が報告書に賛同演説、政府も善処を約束した。
 今同の報告書は、党派を越えたフランス政府のセク卜問題に取り組む姿勢の公式見解といっても良い。そのセクトに対する定義は極めて明確である。調査中に聴聞した人物の証言という形を借りて、次のように述べる。
 <『精神的な不安定化を狙った操作により、会員から無条件の忠誠、批判精神の低下、一般杜会の価値観(習慣的、科学的、市民的、教育的)との断絶を得ようとする集団であり、個人の自由、健康、教育、民主制度にとって危険をもたらす。この集団は、哲理や宗教の仮面を被り、その裏に権カ、支配力、信者の利用という目的を隠している』>(太字原文のまま)
 セクト問題とは宗教団体に関する問題ではなくて、宗教の皮をかぶった有害団体の一問題であることが見事に喝破されている。

■ 犯罪的マインド・コントロール
 実は、これまでフランスにおけるセクトについての対策は市民団体が担ってきた。1970年代に入って、統一教会やサイエントロジー、神の子供達(現・愛の家族)などに対して訴訟が続き、入信者の家族を中心に・宗教色のないCCMM<マインド・コントロール対策資料教育活動センター>やADFI(家族と個人を守る会)などの被害者を守る会が設立された。
 会のメンバーは無神論者から神父・修道女に至るまで幅広く、「キリスト教も魔女狩りなどセクト的行為をした」と公言し、また現在のロシアのようなロシア正教以外は邪教というような不寛容な立場とも一線を画している。
 彼らはセクトは宗教問題ではないという主張を根気強く続けた。
 これらの団体は、セクトと判断するのに被害の事実から出発する。つまり、家族など関係者から事件や心配事が通報され、確認され、問題グループの対応と実績を見てはじめてセクトと判定するのである。


458 1996仏議会とセクト(3) 2004/10/08 21:49

 判断材料として、教義は一切考慮しない。それこそイワシの頭を信じようが、UFOを信じようが、被害さえ及ぼさなければ良いのである。また、組織の大小も関係ない。その観点から出発して、セクトが起こす現象を深く調べてみると、すべてが1つの点に集約されることがわかった。マインド・コントロールである。
 なお、マインド・コントロールという言葉は一般に曖昧に使用されており、それを逆手にとって、「会杜や学校にだってマインド・コントロールはある」といった言い方でセクトの正当化やセクト対策への批判に使われたりするが、本来は、洗脳と同じく明らかな精神的障害を生む現象のことをいう。恐怖感にさいなまれるとか、教祖にいわれるがままにお布施するとか、突然共同体に入って家庭や職場との連絡も取らない等は、いわば病気の症状のようなものである。そして戦後、精神医学の発達で、洗脳、マインド・コントロールという科学的事実が発見されたが、それがこれらの症状の源であるとわかったのである。同時に、マインド・コントロールをやめないグループというものの性質もはっきりと見えてきた。これを「セクト」と呼んだのである。

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11月12日(金)
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