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暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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■神代文字の真実(22)-(26)
千葉県稲荷台一号墳の「王賜」銘鉄剣の発見によって、私たちは、五世紀半ば、日本列島の中での政治のために、はじめて王権から地方豪族に下賜された鉄剣に銘文が記されたことを知り得た。続く五世紀後半、下賜される側の地方豪族が自ら王権とのつながりを明記したのが、稲荷山古墳出土「辛亥年」銘鉄剣や熊本県江田船山古墳出土の鉄刀に刻まれた銘文である。やがて、文字は次第に地方にひろがり、古代国家の文書による行政が七・八世紀の段階で確立する。――このように理解すれば、日本列島における文字のはじまりとひろがりを一つの流れとして説明できるのではないかと思う。
504 神代文字の真実(23)――出土文字(b) A 2005/02/20 18:08
さて、”日本の古代の文字のはじまり”の問題を考えるとき、もう一つ論点がある。それは、中国や朝鮮半島の文字をもう一度考え直さなければ、日本の文字のはじまりの問題は解けてこないのではないか、ということだ。
中国では文字は神様との対話からはじまった。次に各地の豪族が王に忠誠を誓い仕えた由来を、王から褒賞として受けた金属の地金や貨幣で作った青銅器に記した。さらに秦代には、書体を統一し、文字を統治の道具とした。
一方、日本の文字はまず、中国王朝との外交上の必要からはじまり、次に国内政治において、王がその臣下に銘文を刻んだ刀を下賜した。次に、地方豪族が王に仕えた由来を刀剣や鏡に記した。そして文書行政が定着した八世紀ごろから、神に対して土器に食物を盛り、供献するとともに、文字によって自らの願いを神に伝えたのである。このような古代における中国と日本の文字の流れの相違は、文字の生まれた中国とその文字を受容した日本との違いを端的に表わしているといえるであろう。
ところで、”古代日本の文字世界”を考える上できわめて重要な資料として、近年出土した7世紀代の木簡などの文字資料が注目される。
長野県更埴市の屋代遺跡群では、665年の年紀を持つ木簡から郷里制下にあったといわれる720年代ぐらいまでの木簡が、約120点出土した。また、徳島市の観音寺遺跡からは、7世紀前半にまで遡る『論語』の一節を書いた木簡や、7世紀後半から8世紀にかかる時期の木簡が約70点出土した。また木簡以外でも、千葉県栄町五斗蒔瓦窯(ごとまきがよう)跡から地名を万葉仮名で表記した7世紀後半のヘラ書き瓦が約400点確認されている。時を同じくして発見された、都における飛鳥池遺跡の七世紀後半の大量の木簡とも連動して、現在7世紀の文字資料が大いに注目されている。
これまでの木簡研究は、8世紀の平城宮出土木簡を中心に進められてきたが、その研究は正倉院文書という同時代資料の研究成果に支えられていた面が大きいといえる。大量の7世紀木簡の登場により、今後の古代の木簡研究は、8世紀木簡研究の成果を7世紀に無批判にあてはめるのではなく、7世紀木簡を総体的に把え、その特性を明確にしていかなければならなくなった。『日本書紀』『古事記』そして『万葉集』、さらに「推古朝遺文」と呼ばれるわずかな金石文資料を中心として進められてきた国語学・国文学研究にとって、新出の膨大な出土文字資料は、きわめて貴重な資料群といえよう。
こうした現況は、1978年の稲荷山鉄剣銘発見当時にも近似している。
http://www.edu.gunma-u.ac.jp/~hayakawa/paper/inariyama/text.html
http://www-user.interq.or.jp/~fuushi/5-anc/kodaisi/ka-b-inani.htm
http://www.ichihara-chb.ed.jp/board/culture/f/i_f_04.htm
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【新刊の紹介】『文字と古代日本』全5巻 吉川弘文館 2004.12より刊行開始
505 神代文字の真実(24)――新村論文(a) A 2005/02/20 18:09
『徹底検証古史古伝と偽書の謎』――「偽り」と「謎」が織りなす闇の歴史を暴く!
(別冊歴史読本77号) 新人物往来社 2004.3
P272-297『上古文字論批判』――新村 出
【編集部より】
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11月03日(水)
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