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暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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■093 judge
昭和四十九年六月二十三日、岡田光玉氏の死去によって後継者問題が始まる。二日後の二十五日、初代教え主の通夜が幹部によって営まれた。この時、恵珠氏は教団本部「教え主室」に関口栄崇教局長を招いて、「二代は関口さんにお願いしなさい」との初代教え主遺言を伝えた。教え主の指名を受けた関口氏は「これは大変なことですから、本部の局部課長にも聞いてもらいたい」と申し出、恵珠氏は要請に応じて冨田萬美秘書課長に約三十人の最高幹部(本部局部課長、方面指導部長)を集めさせ、同夜十時四十五分頃、再び遺言を次のように発表した。
六月十三日朝、父(初代教え主)にご神前に呼ばれた。父は、昨夜、神様から「遅い遅い、もう間に合わん、ヤマト人遅い」と叱られたとおっしゃった。
そして、父がかけておられた「父の御み霊(ベンダント型)」を私(恵珠)にかけて下さった。
私が、もしお父様がご昇天されたら後はどうしたらよいでしょうかとお伺いすると、「二代は関口さんにお願いしなさい」といわれ「二代様用の御み霊」をお預かりした。父は続けて、「この御み霊は、二代、三代と続くものである」とおっしゃった。いつまでもお預かりしていると怖いので早くお渡したいのです。皆さん、私の言っていることをわかって下さい。私はこのような大変なことですから、私情を交えないでお話いたしました。
父は三つの御み霊をかけておられました。一つは二代様用の御み霊、一つはラーム氏から頂いていた分、今一つは私がおかけしている父の御み霊です。そして父は、パリに行かれる前に、二代様用の御み霊を、私におかけになって「もし何かあったら二代目を嗣ぐように」と言われました。そして無事に父が帰国なさった時、「預けておいた御み霊を返しなさい」と言われて、二代様用の御み霊をお返し致しました。私がおかけしている御み霊は、父の御み霊であって二代様用のものではありません。これは大変なことですから私情を交えずにお話し致しました。
(以上の内容は、七月十七、十八日の両日、発表に出席していた本部局部課長、方面指導部長に、文書によって確認し、署名、捺印を求めたもの。資料1参照)
重大な発表だったため、幹部の一人が再度遺言の確認を求める。と、恵珠氏は「二代は関口さんにお願いしなさいといわれました」と繰り返した。その後、関口氏が二代の指名を受けるとの挨拶があった。恵殊氏は二代用の御み霊を預かっているのは怖いから一刻も早くお渡ししたいとして、その場で渡そうとしたが、その時、夜の十一時を過ぎていることもあり、関口教え主が「もう遅いですから、明日、神殿で初代様のお柩の前でお受けしたい」と提案し、出席者全員の賛同を得て、翌二十六日に行なわれることになった。
二十六日早朝、上級幹部等は二階神前広間に集まっていた。ところが幹部を一旦二階から退出させ、恵珠氏の側近である有間たまえ経理部長と富田秘書課長の二人のみが立ち会い、御み霊渡しが行なわれ、当日出席した幹部等は重大な立ち会いの席からはずされてしまった。
全幹部への二代指名発表が、急遽中止となり、変則的な形で「御み霊渡し」が行なわれたことについて、疑問を感じた幹部等は、初七日の二十九日、中止になった原因を追求、その結果友森清晴警衛警備部長の指示によるものと判明する。その後の推移を見ると、この友森部長の”不可解な指示”が、後の許反計画を想起させる。
<「み霊渡し」の後で――こっそり代表役員の登記>
(3) “天一坊事件”の発端
教団規則第六条一項および二項によると「その代表役員は、この法人の教え主をもって充てる。後任の教え主は、現在の教え主があらかじめ指名した者をもって充てる。あらかじめ指名していない場合は、責任役員の互選により選定する」となっている。
ところが七月五日、関口教え主に何の相談もなく、恵珠氏、友森部長、山本正彦経理局長、岡本洋明調査部長の四人は、「初代教え主の遺言の如きもの及び責任役員の互選によって代表役員は決定された」という文書を作成し、恵珠氏の名前で代表役員の登記をしてしまった。世界真光文明教団の”天一坊事件”は、これを発端として紛争に突入する。
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05月30日(日)
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