ID:10442
ケイケイの映画日記
by ケイケイ
[928700hit]

■「この世界の片隅に」
私は亡くなった今敏の「東京ゴッドファーザーズ」が大好きなんですが、観た時、これはアニメだから、こんなに素直に心に染み入るんだなぁと感じましたが、この作品も同様な感想を持ちました。観たのは奇しくも両作品とも、テアトル梅田。これも縁だなぁと、感慨深かったです。原作はこうの史代。監督は片淵須直。秀作です。

昭和19年2月。広島に住む18歳の少女すず(声・のん)は、急に縁談が持ち上がり、呉に住む海軍・文官の北條周作と結婚します。優しい義父母と同居はいいのですが、気の強い義姉径子が、娘晴美を伴い出戻っているのが、少し窮屈。でも物資がどんどん無くなって行く中、一生懸命工夫し、夫や婚家に尽くし、日々誠実に生きていました。しかし戦局は段々と日本に不利になっており、地方都市の呉にも、銃弾の雨が降る日が増えていきます。

このお話、実はかなり悲惨な内容なのです。しかしそれを突出して感じさせる事無く、今でいうところの不思議ちゃんである、すずの大らかさを前面に出して、ユーモアさえ感じさせます。戦時下であっても、市井の人の暮らしは、現代と同じような喜怒哀楽もあったのだと言う思いを抱かせるのです。故に、後半から頻繁に起こる空襲場面や悲劇的な事柄の痛ましさが、倍増するのでしょう。

これが実写ならどうか?すずの造形を微笑ましく思うより、こんな時代なのにと、頼りなさが先立つように思うのです。「東京ゴッドファーザーズ」は、赤ちゃんを拾い育てるのは、ホームレス。これが実写なら、不潔な場面も多々あるはずで、観るに忍びない気持ちになったろうなぁと、当時思いました。そう感じてしまうと、赤ちゃんの持つ人の心を輝かす力、その後の奇跡も、所詮作り物に見えた事だろうと思います。

しかしこの作品が曖昧に作っているかと言うと、そうではありません。食事の様子の細かい工夫、服装、配給、闇市など、段々と変わっていく街の様子など、背景を丁寧に描いています。一口に言うと、「暮らし」です。

それ以上に感嘆したのは、当時の人々の持つ感情が、とても繊細に描かれていること。顔も観ずに結婚したすずですが、両親から思えば、年頃の男性がどんどん戦地に行かされた状況を思えば、結婚の承諾に、うんもすんもなかったのでしょう。すずが「大怪我」をした時も、妹のすみだけを見舞に行かせるのは、径子の娘・晴美に起った出来事に、娘の嫁ぎ先の家族の心情を慮っての事だと思いました。すずの両親は、本当は飛んで行きたかったろうなぁと思います。

今の感覚では有りえない状況も、しっかり認識させるのに対し、普遍的な家族の愛情も描かれます。里帰りした娘に、自分も苦しいはずなのに、おこずかいを渡す父。気詰まりな小姑との同居に、文句ひとつ言わないすずですが、ストレスで禿が出来てしまった事。危険な状況でも、艶かしい想いを隠せない若夫婦。見つかって恥ずかしがる二人に、「夫婦なんだからと」と、平気な顔をする、舅・姑。

息子夫婦の仲の良さを、微笑ましく見守る舅・姑は、善き人でした。昔を描くと、嫁いびりばかりが描かれますが、こんな風景も確かに有ったのだろうと、素直に思わせるのも、アニメの力かもと思います。「あんただけでも、助かって良かった」と、あの状況に嫁に語りかける姑に、ありがたくて涙が出ました。実写だと、「母と暮らせば」の吉永小百合の台詞になっちゃうもん。

無体をいう憲兵を、笑ってバカにする北條家の様子、息子を戦争に取られた家を気の毒がる近所の人の井戸端会議をさらっと挿入。そうだよね、うんうんと、ものすごく納得。当時だって人々は、耐え忍んでばかりじゃなかったはずです。自由が奪われる中、心の自由を奪われないようにした、たくさんの人々がいたからこそ、国は復興出来たんだなと、思いました。


[5]続きを読む

11月27日(日)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る