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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「そうかもしれない」
「明日の記憶」は、50前の熟年男性を襲う、若年性アルツハイマーを描いた作品でしたが、この作品は、金婚式を迎えた70半ば前後であろう夫婦の、妻の方がアルツハイマーに襲われるお話です。老々介護の大変さが取り上げられている中、まさにその姿が描かれています。ところどころ、どうしようもなく素人くさいところのある作品なのですが、それもご愛嬌だと思えるほど、作り手のメッセージが伝わってくる作品でした。秀作とか佳作だとかいうのではなく、描きたかった内容と、その内容を忠実に表現しようと頑張った、作り手・演じ手の素晴らしさを感じた作品です。原作は詩人・小説家の耕治人の、妻ヨシさんとの晩年の日々を綴った<命終三部作>(『天井から降る哀しい音』『どんなご縁で』『そうかもしれない』)を元にしています。
寡作の作家高山治(桂春團治)は、妻ヨシコ(雪村いづみ)と結婚し、50年。子供はいませんが、仲睦まじく暮らしています。時折ヨシコの甥森田(阿藤快)が、二人の様子を見がてら訪問しています。元気で明るかったヨシコの物忘れが激しくなり、家事も出来なくなったのを見かねた森田の勧めで、医師の診察を受けたヨシコは、アルツハイマー病でした。疲労困憊になりながらも、甲斐甲斐しくヨシコを介護する治。しかしそんな彼にも、ガンが襲っていたのです。
こう粗筋を書くと、悲惨でやりきれないお話かと思われるでしょうが、全然そうではありません。確かに老いた夫が、手の掛かる妻の世話をするのを観るのは切ないです。夜中に食事の用意をした妻を、介護疲れから思わず夫がぶつシーンもあり、その後の夫の後悔など、葛藤も描いているのですが、総じて人が老いるのは当たり前、老いて病に倒れるのもしかり、まず自分たちの境涯を受け入れている姿が胸に染みます。
「あなたの頑張りしだいです」という、励ましているのか追い詰めているのかわからない妻の主治医の言葉に、「みんな僕に頑張れと言うんだよ・・・」とつぶやく夫。その時童女のような愛らしい笑顔で、妻が夫に囁く「頑張りましょうね」の言葉は、意味がわかって言っているのではありません。しかし夫のその後の微笑みは、妻から何にも代え難い力をもらったとわかります。
夫とは高山に限らず、今の穏やかで優しい自分が、新婚の時からの自分だと思っています。妻というのは、だいたい結婚して何十年経っても、重箱の隅まで夫婦のことは覚えているものです。特にヨシコのように夫を支えて生きてきた世界だけが、全ての人は。「私があなたのお仕事の邪魔にならないように、どれだけ息を殺して暮らしていたと思うの!」と叫ぶヨシコ。「何でも二人でやってきた」と思っている夫に対し、妻は病が進行して、現在と過去の区別がつかなくなっても、「あなたは何でも自分ひとりで決めるのよ!」と全然別のことを叫びます。この辺りのすれ違いには、劇場を埋め尽くす高齢の奥様方は、深く肯かれたことと思います。
作家の妻として、どれだけ自分が夫の創作活動に貢献してきたか、彼女なりの自負があったと思います。甥の森田に「あの勝気なおばさんが、どんな思いで今まで暮らしてきたか。おじさんはおばさんを食いつぶして生きて来たんじゃないですか?」の言葉は、私小説作家と言われる夫には、胸に突き刺さるものがあったでしょう。
「明日の記憶」より更に25年の歴史のある夫婦は、今と違い、例え夫の収入が少なくとも、軽々しく働いては夫の男としてのプライドが傷つくと、じっと耐え忍んだ方も多かったと思います。昔と今が混濁し、「賞をもらったら、原稿料も上がるのよね?」の嬉しそうな妻の笑顔に、この夫婦の過去が透けても見えるのです。
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11月16日(木)
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