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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「クララ・シューマン 愛の協奏曲」
張りつめた夫婦関係に入り込んだブラームス。シューマンへの敬意、クララへの愛情、子供たちを慈しむ彼。そしてその類まれな才能。この問題の多い家庭を風通しよくさせ、持ちこたえさせているような描き方でした。まあ監督がブラームスの末裔ですから、そこは御愛嬌。一種風来坊めいた自由人でもあるのですが、演じるマリック・ジディが本当に爽やかな好青年で、容姿も端正で優しく品があるので、すごく説得力がありました。

パスカル・グレゴリーも、芸術家の才気と神経質な弱さを上手く表現していました。観客の同情も引かなければいけない役で、難しかったと思いますが、とても良かったと思います。子供たちと直接関わるシーンは少なかったですが、子供に声を荒げることも無様な姿を見せるシーンもありません。実際のシューマンは大変子煩悩で、子だくさんだったのは彼の希望とか。そういう良き一面は、健やかで可愛い子供たちの姿で、表現されていたのかもしれません。

ラスト近く、ある行動をとる決意をしたシューマンが結婚指輪を外し、妻に渡してくれと言います。冒頭のシーンとの対比だと思いました。これは足でまといになった自分から、妻を解放させるためのことだったかと思います。妻の才能に理解を示すシューマンは、決して「智恵子抄」的男性ではなかったと思います。フェミニズム映画としての側面も感じさせます。

そしてマルティナ・ゲデック。「善き人のためのソナタ」が、本当に忘れがたい人です。この作品のか弱く繊細なクリスタとは対照的な、芯の強いクララ。その器の大きさには惚れ惚れするくらいです。家庭の苦境にも、彼女が涙したシーンはたった一回。しかしその強さは、家族への溢れる母性と、自分の才能を開花させることを忘れない姿勢が強調されているため、恐れより共感を呼びます。そしてマルティナの特性である官能性。その色香は色で言えば上品なパープルです。年増女が若い男性を虜にするといえば、ある種いやらしさが付きまといますが、彼女が演じることで、瑞々しく落ち着いた艶を感じさせ、説得力が増しました。音は吹き替えでしょうが、ピアノを弾く姿も様になっており、タクトを振る姿もお見事。とにかくクララを演じて、マルティナの演技はパーフェクトでした。

クララとブラームスの関係は、諸説色々あるそうですが、この作品では生涯プラトニックであったと描いています。ラストのクララの演奏を聴き惚れながら涙するブラームスを見て、それはそれで、ちょっと良い大人のお話だと私は思います。

当時最下層であろう人々の前で、ブラームスがリクエストされピアノを弾くシーンがあります。今でこそクラシック音楽と言えば高尚なものですが、当時は流行歌と同じようなものでもあったのだなと、改めて思います。娯楽がいつしか芸術に転化されたのですね。そういえば以前、あと50年したらビートルズの曲もクラシックだ、と書かれた記述を読みました。確かにそうだなぁ。

私が音楽を聴き涙したのは、リンダ・ロンシュタットの「またひとりぼっち」を聴いた時と、我が母校であのストラディバリウスで生演奏してくれた、ヴァイオリニストの辻久子さんの演奏を聴いた時。どちらも感情より先に涙が出て、自分でもびっくりした記憶があります。いずれも高校生の時でした。この体験からすれば、人を感動させるのに、高尚も大衆的もないのですね。これは映画にだって言えることです。

ブラームスが「子守唄が歌える?」と聞かれて歌うのが、あの「ブラームスの子守唄」だったり、子供たちとダンスを踊るために弾いた曲が「ハンガリー舞曲」だったり、随所に名曲の数々が演奏されるのも聞きものです。でもシューマンは知らない曲ばかり。シューマンと言えば「流浪の民」くらいしか頭に浮かばない私。駄目だなぁ。でも鑑賞後、スクリーンから出てきた老紳士お二人が、「シューマンは知らん曲ばっかりやったなぁ」とお話されていたので、ちょっとほっとしています。私は景気づけに音楽を聴くときは、ツェッペリンだったりクィーンだったりするんですが、この秋はクラシックもいいかなぁと、思わせる作品です。

09月13日(日)
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