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ケイケイの映画日記
by ケイケイ
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■「大阪ハムレット」
私の迫力に見る見る青ざめる長男。「ご、ごめんな、お母さん・・・。俺が悪かったわ」と、以来朝練の時は、私を労ってくれるようになりました。以降次男三男も偉そうな素振りが見えた時、同じようにしたわけね。ぶすっとはしても、母に口応えせず黙っている房子の息子たちは、まるで我が家の三兄弟みたいでした。

久保家の次男は今は大阪でも絶滅種に近いヤンキーで、血の気が多く喧嘩ばかりしていますが、万引き・カツアゲ・シンナーはせず。房子が怒らないのは、このことをちゃんと把握しているからでしょう。三男のことにも心を痛めていますが、彼が自我を通すという事は、茨の人生を歩むということです。決して世間体が悪いことを気にかけているのではありません。長男が異常に老けているのも、きっと気苦労をかけているからだと、心の底ではわかっているでしょう。いつもにこにこ、能天気なようで、房子は子供を信じてちゃんと見守っているのが、わかります。

息子たちだってそう。世間一般からは好奇の目で見られるような家庭であっても、不足はあっても不満はないのでしょう。彼らは立派な母だと思うからこそ、自分のことを最優先します。私は常々子供が親を一番に思ってしまったなら、それは親失格だと思っています。子供が飛びたい時に安心して親の元を飛べる状態にしてこそ、親ではないでしょうか?自分の悩みにけりをつけた長男・次男が次に向かった先は、やっぱり「家庭」でした。これでええのんよ。家族の絆とは、意識せずとも自然に足が向いてこそ、値打ちがあるものです。

脇のエピソードも秀逸。白川和子演じるお婆ちゃんは、三男に「男でも女でもええ。生きとったらそれでええねん!」と、三男の心を汲み取ります。それは房子の妹で、変わり者だった亜希(本庄まなみ)のことを、最後まで理解してやれなかった自分を、きっと悔やんでいるんでしょうね。彼女が悔恨している様子は、亜希の遺骨を抱いた次男三男を迎える時の、「よう来たな・・・」の演技とセリフだけで涙が出ました。白川和子、元ロマポの女王の底力やね!

複雑なファザコン娘由加(加藤夏希)と長男のエピソードも胸に染みました。再婚相手になつく娘に、「あんたはお父ちゃんの子を産むこともできるねんで」と、嫉妬して言い募る母など、私は信じられませんが、何よりも母親が勝る房子との、対比になっているのでしょう。ファザコンから抜け出せない自分のみっともなさは、由加自身が一番わかっているはず。彼女が一目で長男を頼ろうと思ったのは、彼の醸し出す長男としての母や兄弟への思いを、包容力と受け取ったのでしょう。この辺は複雑な家庭に育った者同士、魅かれあうのは、私には理解出来ました。

甲斐性のないおっちゃんは、自分はこの家の迷惑者だと卑下すると「黙って家を出たらあかんよ」と、優しく房子は慰めます。きっとずっとダメンズ好きだった房子、男の一人や二人、養うのは平気なんでしょうね。「子供の頃から男の子がついてまわった」(祖母談)「今も昔もおんなじや」(二男談)の房子ですが、その美貌と天真爛漫な性格を生かして、玉の輿をゲットしようという浅ましい心はなかったようで。この辺も潔くて素敵です。

看護補助とスナック嬢とは、母性と美貌と言う自分の最大の武器でお金も稼ぐ房子。その逞しさやしなやかさは、まぶしいくらいです。人間学歴や資格がなくても、何やっても生きていけるもんやわ。ラスト四男を抱いた次男が夕陽を見ながら、「誰の子でもええ。お前はうちの子や」と語る姿が爽やかです。生きている、例えぶざまであっても、ただそれだけで素晴らしい。それがこの作品を貫くテーマなんだと、しみじみ感じました

陣痛の最中にも「あんたら、ご飯食べた?」と聞く房子には、思わず爆笑。いえ、私も三男出産の折、夫に連れられて見舞いに来た長男次男に、分娩室で同じことを言ったもんで。母親は子供を手放したら、もう母親ではないねん。それが父親とは違うところだと思います。子供を育てるというほど、母親にエネルギーを与える仕事はありません。房子はそれを知っているから、恵まれた子は、皆産むのでしょうね。


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02月09日(月)
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