ID:10442
ケイケイの映画日記
by ケイケイ
[928838hit]
■「父親たちの星条旗」
他の二人とは異なる様子を見せるレイニーですが、彼を観ていて、高校生の時の先生のお話を思い出しました。公民の時間がだったのですが、まだ20代後半の若い男性だった先生は、「昨日の夜、『戦争の時チャンコロ(中国人)をいたぶって楽しかった』と父が言ったので、大喧嘩になった。」と言う、お話をされたのです。聞いた私も何てひどいお父さんなのだと、その時それだけを感じました。しかし今思い起こしてみるとそうではなく、人をいたぶって快感を感じさせる、戦争とはそういう恐ろしいものだという事なのです。善良な人の心まで変えてしまうものなのです。今まで経験したことのない晴れがましい場所にいるレイニーが自分を見失うのも、それは戦争がさせたことなのではないかと感じました。
ひとり冷静に現実を見つめるドクですが、それは彼が衛生兵として、一番たくさんの数の兵士の「死に水」を取ったからではなかったかと感じました。彼らが残す言葉の一つ一つが脳裏を霞め、彼らの死を無駄に出来ない、この戦争には負けられない、そういう強い意志をもたらしたのかと思いました。
終戦後も自責の念に駆られながら、生涯戦争に関して黙して語らなかった彼は、口に出すと自分が壊れてしまうと思っていたのでしょう。そうやって戦後の復興に力を尽くした、たくさんのドクが、日米二方にいたことだろうと思います。
監督のイーストウッドは76歳。彼によると、「自分の若い時分の戦争映画は、どちらかが善でどちらかが悪であると描いていた。年を経るにつれ、戦争とはそういうものではないと感じるようになった。」と、語っています。今この想いを映画にしたいという瑞々しい感受性は、本当に尊敬したく思います。
私は子供の頃、多分再放送だった「ローハイド」で彼を始めて観ました。のちテレビで盛んに放送されたマカロニウエスタンでも彼を観、次に彼を観た時は、ハリー・キャラハンになっていました。今でいうストーカー女性の恐怖を描いた「恐怖のメロディ」で監督にも進出、以降たくさんの娯楽作に出演・監督しつつ、「ドン・シーゲル、セルジオ・レオーネに捧ぐ」と、自分の恩師にあたる人に捧げた「許されざる者」でオスカー監督となります。時代を見据えながら、時代と共に自分も進化してきたイーストウッド。老いるという事は後退するのではない、成熟していくということなのだと、彼から教えられます。この作品に一番深い陰影をもたらしたのは、若く戦争を知らない世代の監督が撮ったのではなく、戦争を知る年齢のイーストウッドが作った反戦映画だからではないかと思います。
私が印象深かったのは、上官の「兵士たちを生きて母親・恋人の元に返すと誓った」と、何度も出て来るセリフです。日本は「お国のために命を散らせ」と、よく映画では出てきます。その辺の意識の差は、単にお国柄なんでしょうか?「硫黄島からの手紙」を観ると、その謎は解けるのか、楽しみにしています。
11月02日(木)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る