ID:104303
暴かれた真光日本語版
by 日記作者
[393221hit]

■崇教真光と考古学 その4(批判2)
崇教真光と考古学 その4(批判2)


[563]崇教真光と考古学 05/10/06 14:15 9Hqd6qPk93
二、『縄文前期から米作り!』――中国のほうが古い
■世界の稲作文明史を書き換える 中国浙江省の上山遺跡(2005.1)
www.china-news.co.jp/culture/2005/01/cul05012401.htm
 (中国通信=東京)杭州22日発新華社電によると、浙江省文物考古研究所と浙江浦江博物館はこのほど、▽浦江県にある上山遺跡は中国でこれまで発見されたものとしては最も年代の古い新石器時代遺跡の一つである▽それは世界の稲作文明の歴史を書き換えるとともに、まったく新しい人類初期の定住生活様式を示している―と発表した。
 浙江省文物考古研究所は国家文物局の承認を受け、浙江浦江博物館と共同で、2001年と04年に上山遺跡の考古学発掘を行い、重要な発見をした。北京大学文博学院が新しい炭素14法で年代を測定したところ、上山遺跡から出土した炭素を含む大量の陶片は1万年前後の歴史があり、このことから中国でこれまで発見された中で年代の最も古い新石器時代遺跡の一つとされた。
 同研究所研究員で、上山遺跡考古学チーム・リーダーの蒋楽平氏は、次のように話した。炭素を含む陶片の表面から、大量の籾殻跡が発見され、こね土にも大量の籾殻が混ざっていた。陶片からサンプルをとって植物ケイ酸体分析に行ったところ、多くの陶片に稲葉片の運動細胞に由来する扇形ケイ酸体が含まれていた。陶片中の籾殻の形状を観察した結果、粒の長さは野生稲より短いが、幅は野生稲より広く、人間によって選別された初期の栽培稲であることが分かった。
 これまで発見された中で年代の最も古い稲作の遺物は長江中流と淮河上流一帯から出ているため、伝統的にはこれらの地帯が中国の稲作の起源とされていた。上山遺跡で1万年以上前の栽培稲の遺物が発見されたことで、長江下流の稲作の歴史が2000年遡るだけでなく、上山遺跡のある長江下流地区が世界の稲作農業の最も古い起源の一つであることも証明された。
 上山の考古学発掘では、比較的多数の打製石器のほか、チョッパー、スクレーパー、尖状器、小石器や石核石器などが出土した。こうした打製石器を中心に、打製、磨製石器が併存している現象は、原始的な狩猟、採集と原始農業との複合的経済方式に対応するもので、上山遺跡に旧石器から新石器への移行という原始的特徴が強く残されていることを示している。
 また上山遺跡は浙中盆地にあり、まわりは平坦で広々としている。中国でこれまで発見された1万年以上の初期新石器時代遺跡がたいてい洞穴や山地遺跡型であったのとはっきり違っており、これは人類初期の定住生活というまったく新しい選択の反映だという。

■岡山・6000年前の貝塚――縄文前期に本格稲作? 稲の化石大量出土
 縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が初めて裏付けられる資料」としている。しかし、縄文晩期に大陸から伝わったとされるわが国稲作の起源の定説を約3000年以上もさかのぼることになり、新たな起源論争が起こりそうだ。
 町教委が2003年9月から発掘調査。五つのトレンチから採取した土を別々に分析。地下2.5メートルの土壌から、土1グラム当たり稲のプラント・オパール約2000―3000個が見つかった。これは朝寝鼻貝塚の数千倍の量。主にジャポニカ米系統とみられ、イチョウの葉状の形で、大きさは約30―60マイクロ・メートル(1マイクロ・メートルは千分の1ミリ)。
 調査した高橋護・元ノートルダム清心女子大教授(考古学)は「稲のプラント・オパールが見つかっただけでも稲の栽培は裏付けられるが、他の植物のものも確認され、栽培リスクを分散していたとみられる。縄文人が農耕に生活を委ねていた証拠」としている。
(2005年02月19日 読売新聞)


[564]崇教真光と考古学 05/10/06 14:15 9Hqd6qPk93
ホ、『海を渡った縄文土器』――とんだガセネタ
■ガセビアだったバヌアツ縄文土器

[5]続きを読む

09月26日(月)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る