ID:104303
暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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■スレ47-4
763 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2007/07/08(日) 22:12:26 ID:j/r96+KZ
>>760
> 三日の研修で誰にでも手かざしできる「小イエス化」と言ったのは、崇教の救い主様
> が最初だと思います。


『世界救世教奇蹟集』昭和28(1953)年9月10日
> 総論
> 私は以上のごとく百二十に上る色々な奇蹟の実例を載せたが、
> これを見たらいかなる人でも驚異の眼をみはらない訳にはゆくまい。
> 一言にしていえば、これこそ最高神威の表現であり、空前の救世的福音である。
> なるほど小奇蹟は昔からその時代時代の宗教によって示されている事は文献等に
> よっても明らかであるが、これ程超奇蹟が数多く、しかも普通人でも短時日の修得に
> よってその力を与えらるるとしたら、この事自体がすでに大なる奇蹟である。
> すなわち凡人でありながらキリストと同様の奇蹟を顕わし得たり、何ら医学の素養のない者でも、
> 医学博士以上の治病力を発揮出来るとしたら、到底真実とは思えないであろう。


小イエスという言葉は使っていませんが、「わずか3日の教修で」「弟子がキリストが起こした
奇蹟に劣らない奇蹟を起こせるようになる」ということは、岡田茂吉が言っていたことです。

なお、「教修が三日」というのは岡田茂吉存命時の、救世教の標準です。


764 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2007/07/08(日) 22:14:09 ID:+sA2Qr74
>>760
御手代はお守りの御札みたな感じなんだね!
べつにそれを持っていれば、誰でも「手当て」ができるという
ものではないんだね。
だたその「御手代」の扱いがどの程度のものだったのかが気になる…

救世教の「お光」が真光の「おみたま」並の扱いを信者に要求してるなら
カルトアイテムだろうけど、実際はどうなんだろう。

>でも、救世教の教組は、本当は「お光」がなくても浄霊はできるといっています
これ気になりますな!最初からお光はあったのかな?

真光のおみたまが何でカルトアイテムかというと、「命より大事なものであり
粗末に扱うと罰があたると教え込んでいる」から。

肌身離さず持ち歩くこと」
落としたら御無礼
へその下に行くような扱いは御無礼
錆びたら想念が悪いとか神から離れてるからとか言われる
汗が入らないようにアルミ、ラップでグルグル。一ヶ月に一回はお取替えしましょう
さらに死んでからも、火葬のとき一緒に入れて消えないと(実際は燃える)
あの世では手かざしができません。

こわっ脅しアイテムです。


766 名前:神も仏も名無しさん 投稿日:2007/07/08(日) 22:23:02 ID:j/r96+KZ
>>でも、救世教の教組は、本当は「お光」がなくても浄霊はできるといっています
>これ気になりますな!最初からお光はあったのかな?

いつが最初かは微妙ですが、昭和20年代にはすでにありました。

>救世教の「お光」が真光の「おみたま」並の扱いを信者に要求してるならカルトアイテムだろうけど、実際はどうなんだろう。
>真光のおみたまが何でカルトアイテムかというと、「命より大事なものであり粗末に扱うと罰があたると教え込んでいる」から。

これについては、岡田茂吉のこんな問答を参考にしてください。特に大事なのは最後の2行です。

S24.7.30
質問

畏れ多い事乍ら、夏など俄雨、夕立等で、おひかり(真光のおみたまにあたる。当時は、
判事に書いた文字を絹袋に入れていた)を濡らす事がございますが、
こんな場合いかに致したら宜しいでしょうか。又濡れたりしますと、
おひかりの御力に違いがあるものでしょうか。

御垂示

もし濡れた時には開けてみていいですよ。
開けて見て文字の紙にしみがついてなかったらそのままでいいです。
こんな人は油紙だとか、パラフィン紙だとか水の滲みない紙や布があったら
それで包むといいですね。こうする事は差支えありませんからね。
又若し、字の書いてある紙にしみがついてたらいけません。
その理由を話して又受けるといいですね。

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