ID:104303
暴かれた真光日本語版
by 日記作者
[397704hit]

■神代文字の真実(11)-(15)
(2003年11月25-24日 「S教M光」誌平成十五年五月号 〜と思われる。  の続き)
293 神代文字の真実(11)――岡D光T師教示 A 2004/01/18 20:23

(No.132-141の続きです。)
◆「M光」誌 昭和47年12月号19-31頁
●北関東方面合同周年祭記念講演会ご教示要旨(昭和四十七年六月十一日・桐生サンケイホールにて)
『迫る人類共滅期をいかにして超えるか』岡D光T師述
  ◇  ◇
(P24)……口ではいとも簡単に十万年、五十万年というが今までのように、漢字は支那から来たの、日本には文字がなかったのなどと嘘八百で、漢字が来る前に発掘された、神代文字の刻まれた石を調べてみると、神代文字が二千数百とおりあることが明らかになった。
 現在の神社、寺院に行ってもわけの分からない文字があって、神主さんや坊さんにきいても分からない。「何か梵字でしょう」などといい加減なゴマカシをいっているのが大部分です。
 梵字だなぞとは大嘘で、これらの字は日本の太古の文字の表に必ず出てくるのである。
 日本の敗戦後、いわゆる言論の自由が唱えられてからは、外国の学者が、日本の古文献を研究して、日本書紀、古事記には全然書いてありませんが、アジア、コンロン山脈、そのほか、世界の各地の文献には日本のことが非常に多く出ており、それをもとにして、日本の古さを知った学者連が日本に来て、掘りまくったのである。
 ところが、悲しいかな日本の大学には、古いものを測定する科学機械がないものだから、全部本国に持ち帰って調べて見ると、あまりにも日本の古いことがわかり、昨今の世界の新しい学者グループでは、世界最古の人類は日本人であったということを、堂々と発表する時代になってしまった。
 目下研究中で、判明しただけでも世界最古の文明、五大文明を起こしたのは明らかに日本人であり、先にも述べた五大宗教を開いたのも日本人であったことが、学問的に立証できる時代になった。
  ◇  ◇
【Web解説】“漢字が来る前に発掘された、神代文字の刻まれた石”とやらを科学的に鑑定して、ぜひ県登録博物館に展示していただきたいものである。


294 神代文字の真実(12)――神道事典(a) A 2004/01/18 20:25

◆「神道事典」國學院大學日本文化研究所編集 弘文堂 平成6年初版
P386
神代文字じんだいもじ
 古代日本に漢字が渡来する以前に存在したとされる日本固有の文字列および文字体系の総称。「かみよもじ」ともいう。記紀によれば応神天皇十六年に百済より王仁《わに》(「古事記」では和遺書師《わにきし》)が漢籍を持参し、それ以後文字(漢字)の使用・学習が始まったとされており、また「古語拾遺」序文には、元来日本には文字がなく、口伝によっていたために伝承の錯誤も多かったと記されている。さらに日本固有の文字となった仮名が漢字より生じたことも古来広く認識されてきた。ところが鎌倉中期になると仮名の神代起源説が生じるようになった。卜部兼方(うらべかねかた)は『釈日本紀』で、イザナギ・イザナミ、が太占(ふとまに)のときに文字(和字)を用いたはずであり、弘法大師の「いろは歌」は和字の再編成ではないかと述べ、判読不明の「肥人の書」にも言及している。これは文字を用いる亀卜(きぼく)と太占を同一視した結果であろう。 忌部正通(いんべのまさみち)は 『日本書紀神代口訣(くけつ)』で、聖徳太子の頃までは象形の和字と漢字を併用していたと解釈した。また吉田兼倶は『日本書紀神代抄』で、「いろは」や「片仮名」は弘法と青備真備(きびのまびき)による後世の制作だが、五十音は神代からあるとし、イザナギ・イザナミの天之瓊矛(あめのぬぼこ)より生じた一万五千三百六十文字の神代文字があり、その字体は声明の符号のようなものであると主張している。以後、吉田神道では聖徳太子が漢字に替えてから使用されなくなった神代文字が吉田家に伝来すると主張し、吉田神道の普及とともに神代文字の存在が吉田系神道家の間で信じられるようになっていった。

[5]続きを読む

11月24日(水)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る