ID:104303
暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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■089 gn
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御み霊の中身について
>> おみたまの中身が呪符に変わったいたとか。
>このことについて、詳しく教えていただけないでしょうか。
真光の初期に出していたペンダントは、開けてはいけないという規則になっていたが、その気になれば自由に開けて中身を見れる物だったという。見るなといわれると見たくなるのが人の性、大概の人はこっそり見ているそうです。岡田光玉の出していたおみたまは、マルチョン印、乃至は、ちょん、を書いて聖鳳と書いてあったそうです。
それが二代目になってから、ペンダントがハンダ付けしたような全くあかない物に変えられたそうです。その開かないおみたまを持ったある四国の人が真光に疑問を持って、こんな物いらん、と念を込めたらペンダントがパカッと開いて中身を広げたら薄気味悪い字がごちゃごや書いた呪符だったそうです。
その話を聞いた家が、元真光の古い組み手だった方の家だったのですが、その方は岡田光玉在世時真光隊?の隊長も務めていたそうで真光の教義に詳しいのですが、その人も中身が呪符に変わっている事を知っていたそうでした。初代と二代目は霊系が全く違っているという話でした。
文明教団側に行った陽光文明研究会の中心メンバーだった人とも、この話した事が有るが、その話は正しいと認めて崇教の二代目ケイジュは(どうゆう根拠かしらないが)ヒマラヤの系統だという秘説を教えてくれた。
二代目ケイジュを霊的に導いた人物が居るという話も聞いた事があり、確か《東出さん》という名だと記憶しているが、その人の話を聞いた時の霊的な波動が悪かったな。多分、八大竜王の系統だろう。
真光を大本系とか伊都能売思想とかに分類するのが、根本的な誤りがあると思う。いい迷惑です。 はっきりいって八木派ですな。陽光子友の会時代の古い組み手だった「たま出版」瓜谷社長が書いた「無私の愛よ永遠に」の中に、真光の古い時代の話が回想されている。
私ももう亡くなったが、陽光子友の会時代の古い組み手だった女性から其の頃の話を聞いた事があるが、信者が百人位しか居ない頃の岡田光玉は、誰に対しても近づき易い大らかな人物だったという。
最後は何故ああなったかと云うと、岡田光玉の心の中に曇りが有ったという事しかいえない。
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心霊医学会
岡田光玉は昭和三十三年結成された岡田道一の主宰していた「心霊医学会」の理事を務めていた。岡田道一の著書、「霊癒の科学」には賛同者として岡田聖玉の名が掲載されている。
金井南龍主宰、神理研究会「さすら」
その一
金井 石田先生ネ、、、、岡田○○ね、、、話が横に飛んで済まないのですが、何千から何万という具合に信者が増え出すと、、、信者が二ケタか三ケタ位のとき、酒席で一緒に軍歌など歌ったときには、嘗っての軍人のときのスナヲさを裸になってサラケ出しましてネ、、、コイツ、、、好いとこあるわい、、、なんて思ってたんですか、、、いつしか「生き神様」の「積分人間」になって了うと、無学文盲ならソレで押し通せますが、彼は高級将校で理性のカケラがあったでせう、、、それで、、、絶対自己の矛盾撞着を感じていたんですネ。 その統一の場とは死でしたよ、、、
石田 馬鹿と気狂い、、、は長生きすることに、、、
その二
世の中宗教裁判位六ヶ敷しいものはない。 ということを奥弁護士は其の体験からして云われている。 氏の懐旧談は中々蘊蓄に富んで居るのである。
二木博士(岡田道一の間違い)創設の心霊医学会に奥さんと家内(金井)さんは好く理事としてその名の如く隣り合って座ってたものである。
「彼、わしの顔は、人間であるならば、マトモに見られたものでないのに、、、」「狐霊(どうぶつ)だからシャーシャーしてますよ」
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04月15日(木)
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