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暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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■崇教真光と考古学 その2(教義2)
 救い主様は、『ピラミッドは太陽神の神殿(日来神堂)である。世界各地のピラミッドは日本から広がって行ったもので、原型は日本にある。日本の太陽信仰というのは、少なくとも60万年以前の巨石時代に遡る』とお示し下さっておられます。
 今後、日本各地で発見されているピラミッド遺跡の本格的な調査が進めば、旧石器時代から連綿と日来神堂を築き続け、太陽神を崇めてきた原日本人の姿が明らかになってくるものと思われます。
 戦前の日本では「わが国には旧石器文化は存在しない」というのが定説でした。この歴史迷信を切り崩す端緒となったのが「岩宿遺跡」の発見です。
 1949年、市井の考古学者・相沢忠洋氏は、群馬県笠懸町岩宿の切り通しになった赤土の中から、黒曜石で作られた見事な石器を発見しました。ここに、日本の「旧石器時代」の存在が初めて明らかにされたのです。
 救い主様は、群馬県に御巡光される度に、相沢先生と共に岩宿遺跡や夏井戸遺跡をお歩きになられました。救い主様の『まだまだ古い石器が出ますよ』との御予告通り、間もなく夏井戸遺跡からは30万年前の石器が発掘されました。しかし、当時の学界はなかなかそれを認めようとしなかったのです。
 しかし、昭和56年に宮城県で「座散乱木遺跡」が、そして昭和59年に同じく宮城県から「馬場壇遺跡」が発見されたことにより、それまで反対していた学者達も、日本の旧石器文化の存在を認めざるを得なくなりました。
 その後、平成5年には、同じ宮城県の「高森遺跡」において驚くべき発見がなされました。北京原人と同時期の約50万年前の地層から、みごとな旧石器が発見されたのです。(資料八)
 さらに、翌平成6年には、隣接する「上高森遺跡」から、さらに十万年も遡る約六十万年前の旧石器が発見されました。(資料9)
 平成7年、同遺跡からまとまって発見された15点の石器は、まるで太陽を意識しているかのように、赤い碧玉の石器を中心として、放射線状に並べられた状態で出土しました。(資料10)このことから、日本原人にはものを椅麗に並べる豊かな精神性があったことが分かっています。
 さらに平成8年には、石器の表面に火で焼いた跡が見つかりました。これは北京原人よりも古い時期に、日本原人が火を使用していたことを意味しています。この事実がハッキリと確認されれば、“世界最古の火の使用”を裏付ける大発見となります。(資料11)
 その後、発掘を進めるにつれて旧石器の年代はどんどん古くなり、平成10年11月には、60万年前の地層の20センチほど下から、さらに古い時代の石器が発掘されています。
 そして、平成11年10月始まった第5次発掘調査では、前の地層のさらに3メートル以上も下からら次々と石器が発見され始めまのした.地層の古さは、少なく見積もっても70〜80万年前とのことですが、中国で出土した百万年〜150万年前の石器と酷似しているとの専門家の指摘もあり、今後の正確な年代測定に注目が集まっています。
 発掘担当者も「間もなく百万年前のものが出てくる」と確信を持って語っており、日本原人の古さが一体どこまで遡るのか、全く見当がつかなくなってきました。(資料12)
 救い主様は、「新考古学の発展によって、日本列島から少なくとも百万年前の遺跡が発見されるであろう」とご予告あそばされていらっしやいますが、西暦2000年に突入した今、まさにそれが現実のものとなってきているのです。
 少し前の常識では考えも及ばざる出来事が、考古学という実証の世界から、ハッキリと起きつつあります。


[557]崇教真光と考古学 05/10/06 14:12 9Hqd6qPk93
◇人類の起源はアジア!?
 これまで、「人類の発祥の地はアフリカ大陸」というのが世界的な常識でした。しかし最近、この説が危なくなってきています。アジアでの人類誕生を示す、古い化石が相次いで発見されているためです。
 平成10年11月、ミャンマー日本ポンダウン地区化石調査隊(隊長、茂原信生・京都大学霊長類研究所教授)は、「ミャンマーの約四千万年前の地層から、ヒトを含む真猿類に極めて近い世界最古の高等サルの化石を発見した」と発表しました。
(資料13)
 これは、人類がアフリカではなく、アジアに起源を持つ可能性を示す有力な証拠として注目を集めています。

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09月28日(水)
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