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暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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■紀行記
現在はもうやってはいないが、戦前は子供が生まれると、額に十字の赤い墨を塗り、一ヵ月間外に出さない風習も実際にあったそうだ。
これらはほんの一例にすぎないが、時間をかけ、厳密に調査をすればするほどに、さまざまな問題を提起するに違いない。
●【写真】十和利山を望む 古文献では,イエスの遺骸はこの山上で風葬されたという。
しかし、又一方、そういった風俗、習慣も年を追うごとに忘れさられ、太古の自然美を誇る眉ケ岱(平)も戸来村も観光地として俗化して行く事も否めない。悲しい事だが、イエスの歩んだ道を尋ねみようと思うなら今だ! この山奥にも物質文明の波は滔々として訪れ、山はダムに置き換えられようとし、村の家々には電化の花形であるカラーテレビがどこにでもある。若者たちは風俗、伝統といったものを守るどころか、知ろうともしないようである。私は一年ぶりに戸来を訪れてみて、この地域全体が物凄い速度で開けようとしている様をまの当たりに見て、大変喜ばしい事だと思う反面、世界の文明の古い源を尋ねるものも少なくなり、しだいに消えて行く一抹の寂しさ、憂いを感じない訳には行かなかった。
私達にとって、イエスの遺跡を見、手にして触れる事が出来たが、同時に見逃してはならない一つの大きな問題がある。
それは当時、この聖なる地でイエスが何を考え、何を想いつつ暮らしておられたかと言う疑問である。イエスは弱冠十八歳で日本に上陸し、多くの神業を体得して、母国イスラエルに帰り、神の国と義について宣布され「向こうで死んではならぬ」の勅命通り、涙をのんで弟イスキリを身変わりとして処刑を逃れ、再び青森県八戸港へ到達したと言う。その後、全国を幾度となく巡教され、言語、風俗を研究され、又残し、人々を救って歩かれたのはみ教え通り推定できるのである。そして又、イエスの呼名も十来ではお偉い御方、あるいはイシガミ様として、八戸では八太郎天空として、そう言えば八戸では八太郎某(なにがし)という店屋をよく見かけた。あるいは猿田彦神として、これなども顔が赤い所からこう呼ばれ、尊敬されたのだろう。
久方に都会のビル雑踏から遠く離れ、山々と太古史の香(かおり)のふところに抱かれ、青き草の薫をかぎ、澄み切った空を眺め、目にしみこむような樹木や花々を見つめていると、なんだかイエス様の御意がうすぼんやりと頭に浮かび、体に伝って来るような気がしていた。それはこよなく自然を愛し、神と共に生きたやさしい、喜ばしい感謝に満ちたお姿だった。教え主様が良く言われる「神は自然なり、至善なり、天に飛ぶ鳥の如く、地に咲く花の如く、らしくあれ!」そうだ、自然を知らずして神を知る事は難し、イエス様も至善を知(智)り尽くした方に違いない。この大至善即大自然の雄大で誠に繊細な仕組みと妙なる旋律を知ることなのだ。私はそう想った。全く理屈などではなかった。
しかし、イエス様を想う時、この自然の山や風が、一方憂慮に満ちているように思えてならない。その御顔はどことなく悲哀感があり、葉が風にゆれている様は声なき声に変わった。声なき叫びが山々にこ霊(だま)しているようだ。時として嘆きの声にさえ聞こえてくる。
484 キリストの墓の真実(5)――お代理紀行(e) 2004/12/23 14:39
私は強く思う。幾星霜を経た今日、イエス様の眠るこの自然の中に歓(神)喜と深い悲しみとが同居しているように思えてならなかった。確かに教え主様の言われるように、イエスは日本に渡来している。現代の歴史は二千年前後の唯物史でしかない。一切は仮面(マスク)と真如に満ち溢れ、聖者聖雄はこのような偽りの歴史に包まれた「現代」を嘆き、悲しんでおられるに相違ない。
われわれはこう言った真実を知れば知(智)る程に、その恐るべき誤ちにただ安閑としている訳には行かない。
純粋に、純粋に神向きして行こうとするならば、われわれは雄々しく立ち上がらざるを得ないだろう。人生観を百八十度転換してしまった、尊き、吾等のこのみ教えを知った時のあの感動を、今こそ自分自身の魂に甦らせねばならない。
主の大神様は、われわれが歴史の改修に幾許(いくばく)でも手を染める日が一日も早く来る事を、今、一番望んでおられると私は確信している。
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09月24日(土)
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