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暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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■「新宗教の終末予言」
さて、以上のようなオウム真理教の終末観は先に見た一般的な終末観とどう異なるのか。一般的な終末観ではたしかに終末は迫ってきており現状のままであれば天変地異が起こり世界は終焉することが悲観的に説かれるが、その一方で人間の行動次第では終末は回避でき終末後の理想世界、地上天国が必ずや到来するという楽観的信念がある。いわば悲観的観測と楽観的信念との間の葛藤、せめぎあいの上に「終末」観念は成立しているのである。それに対してオウム真理教の終末観は悲観的な方に極性化されている。終末は回避できないので、それから生き残ることを一義的に考えなければならない。その手段が修行である。修行によって獲得される超能力によって技術主義的にサバイバルすること、まるでそれはゲームのようだ。大本や真光では最終的には「心なおし」こそが終末回避の方法であったこととは実に対照的である。いまひとつは終末の具体的時期の予言である。一般に終末の時期は何年(何月何日)と具体的に予言されるものではないのである。
◇終末予言の系譜――ノストラダムスと酒井勝軍――
麻原の終末予言の特殊性からすれば、その千年王国「シヤンバラ」はいわば観念の適例と背理であった。だがそれが特殊だからと言って、オウム真理教の終末観はそれ自体オリジナルなものであるというわけではない。ここではこの教団の終末観を系譜学的に解体してみたい。その系譜とはノストラダムス(および阿含宗、五島勉)と酒井勝軍(およぴ竹内巨麿)である。
麻原が教団設立以前に阿含宗に関わっていたことはつとに知られていることであるが、麻原の終末予言は阿含宗の教義や教祖、桐山靖堆の予言書に大きく影響されていると考えられる。桐山は『一九九九年カルマと霊障からの脱出』や『一九九九年七の月が来る』などの著作においてノストラダムスの予言詩(特に、一九九九年七の月/空から恐怖の大王が降ってくる/アンゴルモアの大王を復活させるために……)の解読を行い終末予言をしている。桐山によれば、「アンゴルモア」とは「アーガマを説いたモンゴルの王、すなわち仏陀釈尊」あるいは「モンゴルの王が鋭いたアーガマの法、すなわち成仏法」を意味しており、人々が「破滅のカルマを断ち切れば、破滅は生じない」。また「あと三〇年間――つまり、二〇一〇年まで地球に破滅的な出来ごとが起こらなければ、人類はそのあとかなり永い間、平和と繁栄をたのしむことができるであろうと考えている」。
桐山の終末予言は結局『阿含経』(アーガマ)に帰依すれば終末の破局は回避できるというものであり、オウム真理教や大本や真光のような強度の切迫感は見られない。とはいえ麻原は、桐山の著作や五島勉の『ノストラダムスの大予言』に影響されて『ノストラダムス秘密の大予言』を著したと思われる。ノストラダムスや黙示録といった、かつての予(預)言書をテクストとして解釈し、新たな予言を引き出すという方法を継承している点は注目に値する。また『日出づる国、災い近し』における核兵器やレーザー兵器などを使用した戦争と終末のイメージは、五島の前記著作のそれと酷似している。
麻原はまた、竹内巨麿が開いた皇祖皇太神宮天津教のイデオローグで日猶同狙論を説いていた酒井勝軍の予言、「人類は今世紀末のハルマゲドン(人類最終戦争)で滅亡する。生き残るのは神仙民族だけだ。その王は日本から出るが現在の天皇とは違う。」から、修行によって超能力を身に付けた「超人類」であるオウム真理教出家修行者のみが生き残るとい
う予言を引き出した。ちなみに、酒井勝軍が影響を受けた竹内巨麿に伝承された偽史・超古代史文献『竹内文書』が、真光など一部の新宗教の終末予言だけではなく教義全体に大きな影響を与えたことはきわめて興味深い。
[757]新宗教の終末予言(7) 04/11/23 20:26 GK1fzYq/d22
◇結 語――終末論の現在と「世界」の終わり――
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10月13日(水)
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