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暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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■093 judge
一方、関口教え主はあくまで穏便に事態解決をはかろうと、恵珠氏に直接話し合いを求めた。しかし恵珠氏側は何度か「ご神業多忙」を口実に関口教え主の要請を拒否しつづけた。しかしようやく二十九日になって、面会が実現をみた。席上、恵珠氏は終始無言で通し、ただ関口教え主の言葉をノートにメモするだけだった。同席した天野正勝顧問が受け答えし、関口教え主の問いに対しては、文書で回答(資料3参照)することを約した。翌三十日、天野顧問から寄せられた回答書では、関口教え主を”ニ代様”とよんでおり、また月始祭での着席位置について、関口教え主が恵珠氏より上座であると回答している。ただし、代表役員については恵珠氏ということで、とりあえず関口教え主には責任役員に入ってもらうと回答している。
<”神示”の登場――「秘発一号伝達書」の怪>
(5)二人の教え主
八月二日、恵珠氏は熱海元み魂座に関口教え主を招き、「ヨのみ霊もちて娘に与えよ」と記されたメモを呈示した
。同文書は八月一日、元み霊座の初代教え主の部屋を整理している時に発見されたもので、初代教え主が六月十三日に記した”ご神示”であると主張した。以後、恵珠氏側は同メモを”ご神示”と称して関口教え主の排斥に取りかかる。
同メモの発見によって恵珠氏は一段と高姿勢に転じ、四日の月始祭では、関口教え主より上座に着席することにしてしまった。続いて恵珠氏は、八月七日付で「秘発一号伝達書」を出し、同メモの意味について「ヨのみ霊を与える」とは「父の御み霊を与える」、すなわち「恵珠様にヨニマス大天津神の地上代行者のみ役を与える」と解釈し、 ”恵珠様はこのご神示により、六月十三日にヨニマス大天津神の地上代行者となり、神事一切を取り行うことができ、代表役員として教団の頂点に立ち、関口氏には本山造営と教線拡大の陣頭指揮を命じ、恵珠様を補佐代理させることができる”と主張しだした。
ここまでの経過を見ると、恵珠氏側も七月末日までは関口氏を”教え主”であると認めており、代表役員については、それが虚偽であるがとりあえず恵珠氏のままで体面を保とうと考えていた。それが八月一日に”ご神示”と称するメモを発見したとして、恵珠氏を名実共に教団最高位につけ、関口教え主を下位におかんと画策し始めたわけである。
こうして恵珠氏の側近者等は、恵珠氏を教団最高位に置き、関口教え主をその代行者であるとする主張を強引に推し進め、幹部の離反を画策し、関口教え主が本部での職務執行が不可能な状態に追い込んでいく。関口教え主は、八月末にはとうとう公式行事に出席できない状態に追い込まれ、九月度の月始祭では、教え主が斉主するのではなく、ヨニマス大天津神のただ一人の代行者と主張する恵珠氏が、斉主代行を事務長に命ずるという異常事態となった。
関口教え主は、この事態改善の最後の手段として、九月五日、全国に”教え主の承認(印)なき文書・通達は無効である”として、教え主の絶対性を強く打ち出した。ところが恵珠氏は二日後の七日付で、「代表役員『教え主』岡田恵珠」よりの通達で、五日付で出した関口教え主について、教団は関知せずと告示し、ついに恵珠氏は関口教え主を教団かち追い出した如き見解を示すと共に、初めて公式に自らを”教え主”であると称する。
ことここに至ってやむなく関口教え主は、九月十八日、裁判所への問題提起の意志を固め、関口教え主の代表役員地位保全と恵珠氏の代表役員の職務執行停止の仮処分申請を行なった。
(以下次号、文中の役職名は当時のもの) =つづく=
【資料1】6月25日の初代教え主遺言についての確認書
(写真:朝熊俊文氏の全文自筆署名捺印文書)
二代教え主様のご指名について
昭和四十九年六月二十五日午後十時四十五分頃、世界真光文明教団本部(場所東京都大田区田園調布二ノ二十五ノ十)の教え主控室において教え主様お代理の岡田恵珠様が、本部局部課長及び各方面指導部長の参集を求め、参集した別紙の者に対して、初代教え主岡田光玉様のご遺言について左記のようなお伝えがありました。
記
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05月30日(日)
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