ID:104303
暴かれた真光日本語版
by 日記作者
[397749hit]

■神代文字の真実(11)-(15)
真字B「日文五十音図」
五十音図にならい篤胤が日文の真字を父母字を配して縦横に並べた図。ハングルの影響は明らかであり、仮名五十音図とも異なっている。仏教の影響下に成立した仮名五十音図に批判的な篤胤は、この真字五十音図こそ神代の五十音であるとみており、ハングル説も否定している。
疑字篇A「十二支」
A−1は天人が書いたという『琉球神道記』記載の十二支。
A-2は垂加神道系の神代文字。A-3は佐藤信淵の取材による留守氏秘蔵の伝。神代文字の造形は時代を下るほど具象的になっていく。
P388
疑字篇B「神代四十七音」
 いろは歌の配列による四七文字。字体は声明のハカセに似るという吉田系の神代文字説をふまえるか。同系統の字体の「太占之ト」「神代五十音」とともに吉川惟足から熱田大宮司らを経て平高潔に伝授されたという。
疑字篇C「天名地鎮(あないち)」
 河内国平岡の泡輪(あわわの)社に伝来する土笥に刻まれているという。ひふみ歌の配列による四七文字と数字一四種のクサビ型系の文字。
疑字篇D
D-1「土牘秀真文(はにふだほつまぶみ)」
D-2「秀真伝(ほつまつたえ)」
D−1は阿波国阿波社に伝わる大多駄根子命の伝。伊勢神庫の秀真文に同じという。いろは歌配列。伊予城下の八幡神主が伝授するという「御笠山伝記」は同じ字体による五十音配
列。D−2は出雲大社伝来といい、出雲国石窟の神代文字(五十音配列)の字体に即している。D−1と2は同一ではないが、篆書から発想した字体と見られる。(作図・森瑞枝)


296 神代文字の真実(14)――山田孝雄論文(a) A 2004/01/18 20:30

◆「神道事典」(弘文堂) P539
山田孝雄 やまだよしお
 1873-1958年。明治時代後期から昭和時代にかけての国語学者・国文学者。明治六年五月十日、富山県生。富山尋常中学校中退後、独学で小中学校教員検定試験に合格し、各地の中学校教員を経て大正九年(一九二〇)に日本大学講師となり、ついで同十四年に東北帝国大学講師、昭和二年(一九二七)同教授、四年に文学博士となった。
 八年に退官して以後は神道界にも関係するようになり、十五年には神宮皇学館大学の初代学長に就任、十六年には神祗院参与となった。独学の国語学者・国文学者として知られるが、神道や国学にも造詣が深く、とりわけ『古事記』や平田篤胤の研究に力を注いだ。
 昭和三十三年には文化勲章を受賞している。昭和三十三年十一月二十日没、享年八十五歳。著書は『日本文法論』『古事記序文講義』『平田篤胤』など多数。(阪本是丸)
http://www.d1.dion.ne.jp/~tnozaki/YAMADA/
【Web解説】山田孝雄博士は独学で学問を大成し、b宮皇學館大學の初代学長になり文化勲章を受章した。親のコネで近衛兵になり、意味不明の勲章を自慢している人物とは大違いだ。彼が『藝林』という学術雑誌に『所謂神代文字の論』を発表し、神代文字を徹底的に批判した。全文は長文かつ難解で、岩波文庫一冊分に匹敵する。そのうち、最後の結末部分のみBBSで紹介する。全文を読みたい方は、図書館で閲覧するなり、国会図書館に資料複写請求をするなりしてほしい。
  □
◆『藝林』(藝林會発行)第4巻(1958)  文学博士 山田孝雄著
  所謂b代文字の論(上):1号P2-24(2-24)
  所謂b代文字の論(中):2号P10-29(88-107)
  所謂b代文字の論(下):3号P28-51(176-199)
所蔵http://webcat.nii.ac.jp/cgi-bin/shsproc?id=AN00371826
4巻3号(P42)

[5]続きを読む

11月24日(水)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る