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暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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■『天杖神示』の真相
今日の乩筆は数種類あるが、すべて水平にして使用するものである。一般には、X字状の枝の基部を籠首もしくは鸞首の形につくり、その底に短い木筆をつけたものを用いる。X字状に開いた先端が柄となる。材は枕木ないし楊柳である。術士(鸞手)が1人もしくは2人で乩筆を保持し、精神を統一させると、乩筆が激しく動きだし、時折、砂盤ないし卓上に字形を書く。一字をなすごとに唱鸞が読みあげ、それを録鸞が記録する。こうして成った詩文を乩文ともいい、神仙の乩示であるとするのである。棒占術rhabdmamcy の要素を感じさせるが、乩筆が文字を書きだすのは、いわゆる自動現象 automatism によるものとされる。別に、鸞手を童乩と同じよりましと考え、扶乩をもシヤーマニズムに包括させる研究者もいる。乩筆に憑ってくるのは神仙だけでなく、歴史上もしくは伝説上の人物、近親の死者など多様である。
扶乩の起源は、六朝時代に、紫姑神を人形に憑依させて占ったり、女仙が一方的に女性に憑依しで毛筆で直接文字を書いたことに始まるとされる。宋代以降には、扶乩に関する記録がある程度残っており、扶乩により随時、能動的に乩示を得ることができるよう工夫を重ねていった経過を跡づけできる。読書人の詩作・作文、科挙試題の予想、合否占い、官職昇進の予知、迷宮に入った事件の解決、紛失物の発見などにも利用されたが、扶乩の本筋は神仙の乩示を得ることにあった。特に明末清初に流行した善書の作成と関連して扶乩が大いに行われ、その乩示が善事の一部にとりこまれた。また近現代になってからも、新宗教で、一貫道・悟善社・道院・徳教などのように、扶乩と深く係わり合ったものが少なくない。なお台湾では扶乩を文乩・文壇といい、童乩の武乩・武壇に対比させている
411 『天杖神示』の真相(4):フーチとは (ii) 2004/08/01 10:11
【道院】どういんDao-yuan
中華民国初期に結成された宗教結社。山東省浜県の知事呉福林が信仰していた大仙祠をもとに、江蘇省准安の杜黙靖(本名は兼寅)が、1920年(民国9)2月9日、山東省済南市に信徒をあつめて開山。『太乙北極真経』と称する、こっくりさんのごときもので吉凶是非を示した乩示(お筆先の神示)集を、その教義の根本経典とみなす。「道院院網」第一条には、至聖先天老祖を最高神として、<キリスト教、回教、儒教、仏教、道教五教の教主および世界歴代神聖賢仏を崇拝し……五教の真諦を貫徹して大道を明らかにするを宗旨となす>という。
民衆の災難解消、世界の救済をめざして、一種の社会事業団体である世界紅卍字会・道徳社・宗教研究会・霊学研究会を租繊するとともに、平民学校・貧民工作所・病院・残廃院など、質しい民衆や身体障害者のための慈善活動を行った。
1923年2月、杜黙靖の死後、前年まで大総統の職にあった徐世昌の弟の徐素一(本名は世光)が指導者に就任。30年代初期には中国全土に200余の道院と300万の信者を有し、シンガポール・マレー半島・ベルリン・パリのほか、日本では大本教と関係をもち神戸と東京にその支部をもうけた。なお中華人民共和国成立後、邪教として弾庄をうけ、中国大陸での活動は消滅したという。 (河田悌一)
[参考文献]一末光高義『支那の秘密結社と慈善結社』(満州評論社)、李世輪『現在華北秘密宗教』(古亨書屋版)。
●――Dao Academy Sect
412 『天杖神示』の真相(5):フーチとは (iii) 2004/08/01 10:13
[8] 中国のこっくりさん――扶鸞信仰と華人社会(2003) 大修館書店 志賀市子 著
岐阜県内所蔵公立図書館:県立、大垣市立、多治見市立
http://webcat.nii.ac.jp/cgi-bin/shsproc?id=BA64583398
■「はじめに」より
「中国のこっくりさん」――すなわち「扶鸞(ふらん)」は、筆を上から吊したり、木の棒を手で支えたりして、砂や線香の灰を敷いた盤の上に漢字や記号などを描き出す。これを読み取って解釈し、神霊からのメッセージとする。
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11月14日(日)
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