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暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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■093 judge
 関口教え主はじめおもだった教団幹部は、恵珠氏を擁立する一部幹部が画策した”虚偽登記”を知らないまま、七月十三日、「みたまおくりの祭」(初代教え主の教団葬)当日、一万五千人の組み手が東京・九段の日本武道館に参集、その席上、松平定堯事務長から次のように発表されている。

 「恵珠様のおことばを謹んでお伝え申し上げます。『救い主様(初代教え主)より二代教え主は”関口さん”にお願いしなさいといわれました』。おことばそのままを、みなさん方にお伝えいたします」(当日の録音テープから転記)

 その後、一万五千人の組み手の前で、関口教え主の就任挨拶が行なわれている。

 翌十四日、関口教え主は「七月度月始祭」を斎主として教示を行なっている。十三日の公式発表、十四日の月始祭を終え、本部(田園調布)で執務についた関口教え主に対し、本部員、特に教え主を補佐すべき秘書課が非協力的で、関口氏を二代教え主として迎える雰囲気が乏しかった。十七日、不審を感じた関口教え主が書類等を検討すると、既に五日付で岡田恵珠名義で代表役員登記がなされているという事実が発覚する。

 事態を憂慮した関口教え主側の側近幹部等は、今一度、六月二十五日夜の遺言を確認する必要を感じ、同夜出席した局部課長、指導部長等に確認を求め、その結果、「ニ代は関口氏である」という署名捺印のはいった確認書(資料1参照)を得た。しかし、関口教え主は、恵珠氏との対立による教団内部の混乱を防ぐと共に、
恵珠氏の名誉に傷がつかないようにとの配慮から、虚偽登記の件を伏せたまま、十入日、第一種会議(本部局部長、方面指導部長会議)を開いた。

 議事録(議事録記責任者=松平事務長、資料2)によると、出席した大方は、虚偽登記の件を知らないまま、恵珠氏の処遇について諮問している。同会議では無論だれも関口氏が二代教え主であることに異議をはさむ者はなく、それどころか、虚偽登記を画策した友森部長、岡本部長の両氏も、関口氏が初代教え主の一切を引き継ぐことを認めており、

「1」関口二代教え主が霊、体の面とも初代教え主より継承し、教え主として活動する
「2」恵珠氏の立場については、関口教え主と恵珠氏が話し合いの上で決定する
「3」幹部組み手は、教え主の裁可のもとに行動していく

――とのことが確認されている。

<私物化の動き?――側近者たちの”画策”>

(4)影の”演出者”

 二十五日、金子明弘訓練教学部長補佐と工藤高裕同課長は、虚偽登記の事実経過を確認するため、田園調布の梅林旅館で、友森部長と会見し、真意を糺した。友森部長は、教団規則を知りながら虚偽登記したことについて「僕も疑義があった。規則に抵触しはしないかと。実際のところ山本局長より、教え主というのは内部的なことで、代表役員は法律的なことである。本質的に違うという説明を受けて納得した。関口さんは二代教え主に間違いない、こっち(恵珠氏)を僕は教え主とは思わない。代表役員を関口さんに正さなければいかんと思っている」(同会談の録音テープの要約)と説明している。

 同説明を聞くと、虚偽登記を画策し、”教え主(内部的)は関口氏、代表役員(外部的)は恵珠氏”という教団規則に反した理論を主張しているのは山本局長で、友森氏は引きずられた形になっている。しかし、彼の法廷証言によると、友森部長こそ隠れた”演出者”と見られる節がある。

 証言によると、友森部長は初代教え主の亡くなった翌日、恵珠氏に対して、”重大なことの返事は、自分の承認なしには絶対にいうな”との旨述べているわけで、これではまるでフィクサー同然である。二十四日に続いて、二十五日の遺言発表直後も、友森部長と恵珠氏は、深夜の二時頃まで会談している。二十五日夜、自ら、”ニ代は関口さん”という初代教え主の遺言を発表し、二代用の御み霊を持っていることに恐怖さえ感じ、早く関口氏に渡そうとした恵珠氏が、翌日の「御み霊渡し」、七月五日の虚偽登記へと大きく変節した理由を考えると、そこに友森部長の”意見”が大きく影響しているものと見られる。


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05月30日(日)
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