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暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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■縄文時代の謎
 縄文人も、この力強い風景に見入ったことだろう。八甲田山に大きな入道雲が湧(わ)いている◆青森市南西の丘陵に広がる三内丸山遺跡を見て、そのスケールに圧倒された。5500年前から4000年前の巨大な集落跡は、これまでの縄文史観を覆すといわれる◆全体の七分の一、五ヘクタールの調査で四万箱にもなった出土品や住居群に文化の集積を感じるが、海上を通じて交易したことを示す展示品にも目を見張った。新潟のヒスイや岩手のコハク、北海道の黒曜石…◆“縄文の北前船”に海は土地を隔てるものではなく、結ぶものだということを知る。交流の範囲に思いをはせていると、14日付の小紙の夕刊で〈南太平洋に縄文土器〉の話題を目にした◆約六千キロも離れたバヌアツ共和国から出た土器片について日米仏の学者らが、文様や技法、成分などから三内丸山遺跡など東北に多い縄文前期の土器と同様の土器と結論づけた◆南の島にどのように漂着したのか。それは今後の研究に待つとして、はるばるとした縄文のロマンに、しばし残暑を忘れる。

■グラハム展 南太平洋の島で出土の縄文土器片公開 南へ数千キロ海渡る?/大阪
読売新聞1999.8.21大阪朝刊大阪2 30頁
 北区の新梅田シティミュージアム(梅田スカイビル5階)で開催中の「グラハム・ハンコックの世界展〜失われた文明を求めて」(読売新聞大阪本社など主催)に20日、新たな展示品が加わった。南太平洋のバヌアツ共和国で出土した縄文土器片7点で、日本では初公開。訪れた人たちは、早速興味深そうに見入っていた=写真。
 土器片は、五千年前の縄文時代早期に日本で製作されたと思われ、縄文人が南太平洋を数千キロ南下した可能性が指摘されている。ハンコック氏が、世界各地の古代遺跡にこん跡があるとして提唱している「超古代文明」との関連から話題を呼びそうだ。
 同展では、世界的なベストセラー『神々の指紋』の構想をもとに、ジオラマ模型やコンピューター・グラフィックス映像などを駆使し、ギザ・ピラミッドや与那国島海底遺跡など世界各地の古代遺跡群を再現、「失われた文明」の謎(なぞ)を紹介している。9月19日まで。一般1200円、高校・大学生900円、小・中学生600円。


[17]バヌアツの縄文土器 06/02/09 09:47 Fnh/YfU5pN
読売新聞2001.2.14大阪夕刊 文化7頁
◆仏博物館の登録ミスか 縄文人の太平洋渡航に疑問符
 五千年前の縄文土器が南太平洋の島国、バヌアツで“出土”した。このニュースが考古学界を驚かせたのは5年前のことだった。「太平洋を渡った縄文人」は新聞の一面で報じられ、テレビの特集番組や本にもなった。しかし、これが近年、日本から持ち出された可能性が高いことが国立民族学博物館の印東道子教授(オセアニア考古学)らの指摘で明らかになった。(森 恭彦)
 バヌアツ共和国エファテ島のイモ畑の地表近くで採取された14点の土器片。1972年、フランス人考古学者、ジョゼ・ガランジェ氏(現パリ大学名誉教授)が発掘報告書に、写真とともに記載した。
 その写真が縄文土器に酷似していることに、米ハワイ・ビショップ博物館の篠遠喜彦・上席特別研究員(太平洋考古学)が気付いた。芹沢長介・東北大名誉教授(考古学)らに鑑定を依頼したところ、東北地方の縄文前期・円筒下層c式、およびd式の土器で、鉱物学鑑定によって青森県内の砂がまじっていることも分かり、96年の西太平洋考古学会で発表した。
 これが大々的に報道されたため、「縄文人が海を渡り、六千キロ離れたバヌアツに到達していた」というロマンに満ちた推測が独り歩き。一般向けの本でも紹介されるようになった。
 しかし、この説に疑問を持ち、「土器は近代になって持ち込まれたものではないか、と指摘する声は当初からあった」と、印東教授は言う。
 たった一か所からの表面採取品であり、地層から年代を判定することができない。周辺から類似の土器が一点も出ていない――などが理由だ。97年に再調査が行われたが、やはり縄文土器は発見されなかった。
 ところが、最近になって慶応大考古学教室の関係者が、「64年2月、慶応大を訪れたフランスの考古学者アンリ・ロート氏に、まったく同じ縄文前期の円筒下層式土器をサンプルとして寄贈し、ロート氏は、土器をパリの人類博物館に持ち帰った」と証言した。

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09月25日(日)
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