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暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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■『天杖神示』の真相
『政事要略』賀茂臨時祭条に「神は散簸(さんわ)と審神を以て本文となすべし(略)但し今弾琴(ことひき)之者を以て佐爾波と云、偏に以て神遊に供奉す」とみえ、本来は神託を解釈して伝える者であったさにわが、今は琴弾きの者を指すようになったとする。また本居宣長の 『古事記伝』 にも「此の審神者は、サニワビトと訓(よむ)べきなれども、其意にて、其人をただに佐爾波と云うも違はず、釈に、公望私記曰、云々、今代号撫琴人為沙庭(今の代に撫琴人(ことひきのひと)を号(なず)けて沙庭となす)と云るは、そのころも、此称の遣れりしなるべし」と同様に捉え、古くからさにわの名称が琴弾者の称として残されていたと解した。大本系の教団などでは、人についた神や、その言を判断する者を指す。 (中嶋宏子)
[4] 神道大辞典
紀元二千六百年を記念して平凡社より刊行され、戦後に臨川書店より復刻版が発行された、神道学の名著である。『御教示選集1』において光玉氏は同書よりの引用を出し、『サカキ』を批判している。内容は概ね[3]と同一である。
岐阜県内所蔵公立図書館:県立、岐阜市立、多治見市立、関市立、瑞浪市立、池田町立
[5] 神道史大辞典 薗田稔編 吉川弘文館2004.7初版
最近出版された辞典だが、これも内容は概ね[3]と同一。
結局、『天杖』に関する記載は全くみられなかった。“古事記や日本書記にはたくさん出てまいります”というのは事実無根であった。これは記紀を冒涜するものであり、神道考古学や博物館学に反する内容である。“日本の国家神道を守ってきた大御所の方々”が認めるはずはないといえる。捏造記事とみてほぼ間違いないだろう。
410 『天杖神示』の真相(3):フーチとは(i) 2004/08/01 10:09
次に、『フーチ』に関する文献を調べてみた。
[6] 古神道の本――甦る太古神と秘教霊学の全貌(1994) 学研
P62
『岡本天明』――神霊予言書『日月神示』を記録した画家
昭和10年の第二次大本事件後、大本教を離脱し、東京の代々木八幡でひっそりと暮らしていた岡本天明に「ひつくの神」の啓示が下るのは、太平洋戦争も敗色濃厚となった昭和19年のことであった。
そのころ天明は、神代史フリークの高井是空と知り合い、同志数十名とともに「修史協翼会」なる団体を結成していた。この団体の実態は不明であるが、政府の新たな国史編纂の動きに対応して、偽書とされた古文献の復権と再評価を目的としたものだという。
昭和19年4月18日、このグループで、神代史の不明部分について啓示を得るために、天明を審神者(さにわ)役にフーチの実験が行われたとき、「ひつくし「天之日月神」という言葉が執拗に現れたのである。
フーチとは、砂を敷いた盤上にT字型の木をわたしてその両端を2人の人間がもち、感応状態のままに砂上に文字を書くという中国道教の土俗的な神憑り法で、道院紅卍字会と深い関係にあった大本教団では、よく知られた神占術だった。
[7]道教事典 平河出版社1994
岐阜県内所蔵公立図書館:岐阜市立、可児市立
http://webcat.nii.ac.jp/cgi-bin/shsproc?id=BN10616269
http://webcat.nii.ac.jp/cgi-bin/shsproc?id=BA3114959X
【扶乩】フーチー fu-ji
童乩が口頭で託宣するのに対し、筆記具(乩筆、柳乩)を用いて、文字による神仙の乩示を得るト占の方法。扶鸞、飛鸞または扶箕ともいう。文献には、木架・弓・箕などに木筆を吊した筆記具のことがみられ、この器具に手をそえた術士に神仙が憑くと自動的に動きだし、砂または灰上に文字を書くので、それを読んだのである。こうした垂直式の筆記具は今日みられない。
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11月14日(日)
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