ID:104303
暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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■キリストの墓の真実(16)-(18)
(2)和田氏の写真盗用事件については「裁かれる『東日流外三郡誌』」(「季刊邪馬台国」51号、所収)参照。
(3)松田弘洲『古田史学の大崩壊」(あすなろ舎、平成三年)、藤野七穂「『東日流外三郡誌」の秘密とその問題点」(歴史マガジン文庫『北方の楽園みちのくの王国」ベストセラーズ、平成三年、所収)、斎藤隆一・「『和田文献」への七大批判」(平成五年五月二十八日・共同研究会資料)他。
  なお、以上の論者は触れていないが、私の調べたところでは『和田りく」という自署名(和田家蔵「天草軍記」などにそう称されるものあり)は明らかに江戸時代のものではありえない。「和田りく」は秋田家に生まれ、和田長三郎吉次に嫁いだとされているが、女性は他家に嫁いだとしても生家の姓を名乗るのは漢字文化圏共通の習慣であり、日本でも近世まではその習慣が守られていたからである(中国・朝鮮では今でもその習慣が守られている)。日本で女性が署名するさい、嫁ぎ先の姓を名乗るようになったのは、西欧式の民法の影響によるものであり、当然、その慣習が生まれたのは明治以降のことであろう。和田家所蔵の史料に、「和田りく」の署名を記したのは、近世の風俗・慣習にうとい人物であったと推定される。
(4)古田氏の研究を支援する市民グループの間からも、和田家史料群に関する疑念の声は調査の当初から上がっていた。最も熱心かつ実証的に和田家史料群集作説への反証を私たをにつきつけてこられたのは、仙台古代研究会の斉藤隆一氏である。しかし、私たちにとって最も衝撃的だったのは、昭和薬科大学文化史研究室の調査で発見された新史料「古代ギリシャ祭文」に、岩波文庫『ギリシャ・ローマ神話』(ブルフィンチ著、野上弥生子訳)からの引き写しがあることが、市民の古代研究会会員・水野孝夫氏らにより、指摘されたことであった(「市民の古代ニュース」平成三年九月号)。
  その時期から、古村氏は和田家史料群に関する発言を公式の場では控え、和田家に隠された史料の全公開を待つという態度をとられるようになったのである。
(5)安本美典「反皇国史観察の”異喘の史書”『東日流外三郡誌」はデッチ上げだ!」(「サンデー毎日」平成五年四月十八日号)、「『東日流外三郡誌」の筆跡鑑定」(『季刊邪馬台国」51号)、他。
(以下省略)


497 キリストの墓の真実(18)――別冊歴史読本2004 2004/12/23 15:03

文献[4]徹底検証古史古伝と偽書の謎――「偽り」と「謎」が織りなす闇の歴史を暴く!
(別冊歴史読本77号) 新人物往来社 2004.3
P234-239
『真贋の判定に果たす自然科学の役割』
斎藤努(国立歴史民族博物館助教授)
【要旨】「トリノの聖骸布」は、1988年に放射性炭素年代測定が行われ、95%の確率でBC1260年から1390年の間に作られたものと判定され、結果は1989年の科学雑誌『Nature』に掲載された。美術史、宗教史、文献史からもこれを裏付ける報告がある。
(本書は市販中の為OCRによる全文掲載を控えるが、一部を原文のまま紹介する。)
【原文の部分抜粋】
(P238)
 …現在残っている聖遺物として「聖十字架」「聖槍」「聖釘」「聖血」、変わったところでは「イエスの乳歯」「聖母の頭髪」「聖母の母乳」などがある。これらがことごとく偽造であったことは、一人の聖人の頭や腕が何十人分も残っていたり、キリストの「聖十字架」をすべて合わせるとビル一杯分の量になる、といった例をあげるだけで十分であろう。「聖骸布」として伝えられているものも数十枚確認されており、トリノの聖骸布はそのうちの有名な例にすぎない。

(P238-9)

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11月07日(日)
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