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暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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■手かざし全般に関してあれこれ1
ふらふら状態で道場に行って手かざしをしてもらうと治ってしまう。

そういう経験からここには、神がいて、奇跡があたりまえのように起こるところだ。
そう思っていたので、真光に所属し続けました。

病気が治らない所なら、通うこともなかったです。
俺にとっての真光は、病気が治ってなんぼ、奇跡があってなんぼ、って感じでした。

教えとかは、人間は霊、心、体の順に大事だとか、
ひたすら手かざしをしなさいとか、
あらゆることでス神に感謝しなさいとか、
いつも思っていたのはそれぐらいでした。

それも全て実際に病気が治る、奇跡が起こるということが前提です。

だから、実際にそういった経験がなかった、又あったとしても、心の状態で治ったのでは
と思っている人が長いこと真光に所属しつづけたのは
なぜなんだろうと不思議に思ってしまいます。

ちなみに俺は世界真光です。2代目の時です。


549 名前:名無しさん@3周年 投稿日:2006/08/05(土) 15:29:51 ID:mo3bMpxc
病気や悩みがそのうち解決するだろうと信じていたから信仰を続ける
ことができるのだと思います。私の場合はそうでした。
抱えていた健康上の悩み、仕事の悩みがいつかは解決するかもしれない・・

次々と聞かされる体験談も励みになりましたね。いつかは自分も・・なんて
思いました。様々な矛盾に耐えながらも信仰を続けました。

でもいつまで経っても何も解決はしません。
それよりも組手達の言ってることと行っていることの食い違いが段々
耐えられなくなってきました。そればかりか幹部達の我侭でいばり
腐ってる姿に遂に耐えられなくなりました。例えば道場長が可愛い
女の子としかお浄め交換しないとか、導士があきらかにえこひいきや
嫌いな人をいじめたりしているのを見るにつけ吐き気がしてきました。

きっと組手はもっと続けていれば病気は治ったなどとほざくでしょう。
でも私は確信しています。手かざしなんていくらやっても病気は治らないと。


552 名前:名無しさん@3周年 投稿日:2006/08/05(土) 15:58:24 ID:tKHjq+fO
私が信仰を数年続けられたのも549さんとほぼ同じ理由です。
ただ、信仰の内容とはあまりにもかけ離れた信じられない事が起こり それをキッカケにやめました。 道場での出来事ですが、ネットで詳しく話すことはできません。

>それも全て実際に病気が治る、奇跡が起こるということが前提です。

病気が治らなければ霊障と言い、病気治しではないと言うのに、 それが前提とは矛盾しています。

奇跡…私が知る限り、奇跡らしい奇跡は見たことありません。 沢山の金粉は見ました。不思議な出来事だとは思ってますが、神の成せる業とは思いません。
それを奇跡と思うかどうかは人それぞれです。
私が願っていた奇跡とは、金粉を見せられたりするような何の役にも立たないマジックショー的な奇跡でもないし
たった数人だけたまたま与えられるような、曖昧で不安定な奇跡は奇跡ではないと思っています。

万人の病気を癒せたり、世の人々に喜びを与えらることだったり、 何気無い優しさが日々感じられることを私は奇跡と感じます。
私から見ると、これらが真光に一番欠けている部分で多くの人を傷つけていると感じます。

病気な治った人、楽になる人はそのままいればいいでしょう。
だけどそれが万人に通用すると思ったら大間違いだし、大勘違いです。そして、それらを反省することもなく、何度言われてもわからないから、
真光は傲慢だと言われるのですよ。 真光は、確実に、救うより傷つけています。多くの人を。
なぜいつも謙虚に反省できないのですか?
また、何十年経ってもそれらを変えることができない(霊性が高まらない)のは何故ですか?
一般人からしてみれば、そこに霊障解消もないと見るし、 そこに奇跡が起きないのが何より不思議です。
それが変わらない限り、奇跡は無い、神不在と思われて仕方ないですよ。


565 名前:名無しさん@3周年 投稿日:2006/08/05(土) 23:35:06 ID:8AAs0qhN

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