ID:104303
暴かれた真光日本語版
by 日記作者
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■納豆ショートケーキ理論
「論破よりテンプレートが、またはテンプレートより論破が」
と、無意識に二者選択で考えてしまうのが、「人類滅亡か真光か」
と同じで、カルト信者(カルト宗教のお客さん)の思考なんです。

良い物は他の良い物と合わせて二つでも三つでも同時に実現すれば
いいんです。「真光ほど病気が治ったり不幸が救われるところは無いんだから、
少しぐらいカルト的で閉鎖的でも仕方ないよね」ではなくて、「真光と同じ
くらいかそれよりも効果があって、しかも開放的で自由なところが
世の中にはあるかもしれない」と考えれば良いんです。


103 名前:名無しさん@3周年 投稿日:04/01/10 15:27
>>102続き
AがあるのでBはあきらめた、ではなく、AもありBもあるものが
世の中にあるかも。しかもAという点でもさらに優れていたり、
自分でも気づいていなかったCやDという利点がさらにあるものが
世の中にあるかも知れない。と考えて、常に「さらに良い物、
さらに優れている物。さらに魅力的な物」を探すようにしましょう。
自分の所属している所には、「ここはAは良いがBがだめだな」
と冷静に観察しましょう。そして「Aも優れているしBもあるもの」
を探してみましょう。これを繰り返していればきっとカルトには
騙されないでしょう。


104 名前:名無しさん@3周年 投稿日:04/01/10 15:44
>>103続き
おいしい「イチゴ」とおいしい「大福」を合わせると、おいしい「いちご大福」になるんです。よいものとよいものを合わせて、さらに良い物が生まれるのが世の常です。
だが世の中には、「俺は初めて大福を食べたときにそのおいしさに感激した。だからおれは甘い物といえば大福しか食べない。イチゴなんて食べないしイチゴ大福なんて邪道でもってのほかだ」のような事を言う人がいます。
実際にはいちごも大福もイチゴ大福も、どれもおいしいおいしいと食べる人が、もっとも豊かな人生を送っているんです。

だからAを取ったらBをあきらめるというのは自分の人生を狭くする考え方です。AもBもA+Bもみんな楽しみましょう。

ところで、救世教と真の道と大本と光玉氏の個人的な趣味から生まれた真光は、これらを凌駕するさらに素晴らしい宗教となったのでしょうか?それは材料と食べ比べてみれば分かります。
おいしい納豆とおいしいショートケーキを合わせて納豆ショートケーキを作った。食べてみたがどうもおいしくない。部分部分を食べてみたらおいしいところもあるけど全体はおいしくない。
これは組み合わせに失敗して居るんです。やっぱり納豆にはごはん、ケーキはおいしい紅茶なんかが合うでしょう。
合わせて失敗することもあります。そしたらそれは失敗なのですぐにやめれば良いんです。
タ○○○や源○みたいに、俺は納豆ショートケーキが好きなんだと狂った味覚を持った人も
いるわけですが、下手物はそう言う物が好きな人だけに任せて私達は何を食べても良い楽しい人生を送りましょう。


105 名前:名無しさん@3周年 投稿日:04/01/10 16:03
納豆ショートケーキでも、「これは天啓を受けて出来た、人類始まって以来の
初めての食べ物だ」というと、そんなものかと一つの魅力が生まれます。
納豆部分やショートケーキ部分は確かにおいしいので、ちょっとだけ食べてこれはおいしい物だと判断してしまい、人類初めての食べ物ということで感激して「私は納豆ショートケーキが好きだ」という人間が生まれます。

しかし実は、納豆ショートケーキは納豆とショートケーキを合わせた物だ、ということが、2chやインターネットのお陰で最近明らかになってきました。
「実は納豆ショートケーキはまずいんじゃないか」と気づいてきた人が、2chやインターネットの情報を探し、「なんだよこれ。人類始まって以来の天啓の食べ物と聞いたのに、
ただの納豆+ショートケーキじゃねえか」ということがわかり、最初の魅力であった天啓の物という部分が消滅します。

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07月06日(火)
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