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龍神様のささやき
by 龍
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■仏の顔も三度
「仏の顔も三度」という言葉を耳にした事はないでしょうか。
その意味として、「仏様のようにどんなに優しい人でも、失礼な事をして許してくれるのは3度まで」という認識で使用される事から、「仏の顔も三度“まで”」といった言葉で覚えている方も多いかと思います。
しかし、その真意は全く違ったものとなり、この言葉の語源となった次のようなお話がございます。
お釈迦様(仏様)は釈迦国の生まれですが、隣にコーサラ国という強大な国があり、その国の王は妃を釈迦国から迎えたいと考え使者を送られました。
しかし釈迦国の王や家臣は、もし断れば武力にものいわせて攻めてくるであろう国に王女を嫁がせる事を快く思わず、ある富豪が身分の低い女性に生ませた娘を、身分を偽ってコーサラ国に嫁がせました。
やがてコーサラ国王と娘の間に王子が生まれ、その王子が8歳の時、弓術を学ぶ為に釈迦国へと留学に送られました。しかし、身分制度の激しいインドにおいて、「卑しい身分の娘が生んだ子供」という事で王子は差別され、そこではじめて、自分が生まれた経緯を知ることになります。
そんな侮辱を受けた王子は、いつか自分が国王になった時釈迦国を滅ぼす事を誓い、父でもある国王が亡くなって王位を継いだ後、軍を率いて兵を出兵させました。
これを聞いたお釈迦様は、釈迦国へと続く一本道にある枯れ木の下に座禅し、兵が来るのを待ちました。
そして、その前を通りかかった王は「お釈迦様、他に繁った木があるのに、なぜ枯れた木の下にお座りですか?」と尋ね、暗にその場から去られる事をお伝えします。しかしお釈迦様は、「王よ、枯れ木でも親族の木陰は涼しいものである」と答えられました。
それを聞いた王は、お釈迦様がその国の生まれである事を察し、そして「遠征の時に僧に会ったなら兵を撤退させよ」という昔からの言い伝えを守って、その場から兵を引き上げられました。
しかし、国に戻って怒りを抑えられなくなった王は、再び兵を出しますが、再度お釈迦様が木陰に座っており、三度目にも同じ出来事がありましたが、ついに四度目は、お釈迦様も釈迦国にある因縁を悟り兵を阻止する事をしなかった為、国は滅びてしまいました。
さらにこのお話には続きがあり、怨みをはらしたはずの王も、戦の7日後、川で遊行をしていた際に暴風雨がおこり、兵達とともに命を落とし宮殿も雷の為に焼かれてしまいました。
改めて振り返るなら、武力(暴力)にものを言わせて妃を・・・と考えた国。
それ故にウソをつかれたものの、ウソをつき人を差別したからこそ、釈迦国には滅ぼされる縁が生まれた。
しかし、怨みを怨みによって返した事で、王は自分の命を落としてしまう縁に繋がった・・・。
全ては縁によって起こった、縁起の法に繋がるものがあります。
私達の日常に置き換えてみても、お酒を飲み過ぎれば次の日は二日酔いになり、沢山食べ過ぎれば太ってしまう事はとても分かりやすい縁起なのではないでしょうか。
その他にも、誰かのものを奪えば自分のものを奪われ、人を怨めば自分も怨み返される・・・。という事は往々にしてあるものです。
タイトルの部分に戻すと、ごくごく一般に認識されている「仏の顔も三度」とは大きく異なり、また日々の生活の中では、“縁起”という事を意識したり考える事はないかもしれませんが、誰もがその法則の中で生きている理を知る事で、皆様におきましても毎日の生活をより幸せで、スムーズに進まれる歩みに繋がれば幸いに思います。
04月26日(日)
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