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うららか雑記帳
by 浜月まお
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■原風景
甥っ子たちと話をしていて、ふと思った。
物心が付くのはどうやら3〜5歳くらいのようで、それより幼いうちの出来事は記憶に残らない、みたい。
上の甥っ子が2歳のとき水族館に連れていったら喜んだのは川魚のコーナーだけだったこととか、
下の甥っ子がつい最近まで流暢な宇宙語を喋っていた(つまり盛んにお喋りしてるけど何言ってるのか分からない)こととか、そういうの全部忘れてしまってるらしかったのです。
まあ自分だってそんな小さな頃の記憶はないもんなぁ。そういうものなんでしょうね。
周りの大人から「あんたは子どものときこうだった、ああだった」って色々言われるけれど、全然身に覚えのない出来事っていっぱいあるし。
「寝ぼけて話しかけてきた」
「うちの階段から落ちた。死んじゃったかと思った」
「猫をかまって引っかかれた」
とかね。記憶にございません……。
自分の一番古い記憶は、祖父に保育園に迎えに来てもらった場面です。
たぶん3歳か4歳頃?
厳格な祖父、ヘルメット、細長い葉の木々が植わった園庭、ハイライトの煙草、幼なじみ。
思い浮かぶのは断片的な情景だけど、記憶をさかのぼってたどり着くのはいつもこの場面。
田舎の小さな保育園で、当時は送迎バスがなくて保護者が送り迎えしていたんです。私は祖父のバイクに乗せられて通いました(いま考えるとすごく危ないな!)
うちは両親共働きでしたからね。私はほんの赤ん坊の頃から同居していた父方の祖父に育てられたんです。祖父も母もそう言っていたから間違いない(笑)
祖父はその頃少し体調を崩して家にいる日が多く、それで毎日送り迎えしてくれていたようです。
保育園のない日は寝かしつけてくれたりもしたらしく、「じいさんは自分が疲れるとすぐ『寝ろ寝ろ〜』っておまえを寝かしつけてたな」というのは父の証言。
おかげでこんなに寝汚くなってしまったのだろうか、とか思わなくもない(笑)
祖父は田舎の本家に生まれた五人兄弟の第一子長男で、まあその年代にありがちな実直な人でした。
礼儀や勉学だとか生活態度、つまり子どもの養育全般についてとても厳しくて、うちに遊びに来た私の友達にまでひとからげにして勉強を教えようとするような人だったもんだから、叱られたり家から閉め出されたり面倒な用事を言いつけられたりと、子どもだった頃は敬遠してたっけなー。
でも、それもこれも全部私のためを思っての教育だったんですよね……。
祖父が亡くなって、大人になり、成長しつつある甥っ子と接するようになったこの頃になって、ようやく祖父の教えてくれたことのありがたみが身に染みるようになってきました。
えーと、何が言いたいのか分からなくなってきたけれど。まあいいや。
そんなことを考えた、2011年夏。
07月30日(土)
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