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うららか雑記帳
by 浜月まお
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■最初のひとくち ※長文
 他の人はどうだか知らないが、もともと寝起きは決してよい方ではない。
 いや、むしろ相当悪い。おまけに羽毛の掛布にしっかりくるまって寝ていたというのに、妙に手足の先が冷たくなっていた。
 頭もうまく働かず、身体は整備不足の機械のように軋んでいる。アリアは生まれてこのかた14年間、重篤な低血圧と親友づきあいをしていた。

 この少女にとって、起き抜けはさぞかし不快に違いない。それは白皙の顔に浮かんだ表情を見ても明らかだ。

 半身を起こしたものの、すぐには寝台から出ず、アリアは意識がはっきりしてくるのを静かに待った。
 この症状、毎度のこととはいえ少々うんざりしないでもない。

 普段なら、こんな刻限に目が覚めることはまずない。
 だが、その日に限って眠りは彼女をあっさり手放した。まるでこれから起こる何かを察知したかのように。

「う〜ん」

 猫みたいに大きな伸び。
 ようやく人心地ついたらしいアリアは、眠そうに目をしばたたかせながら乳白色の遮光カーテンを開け、はめ殺しの窓から外の様子を覗った。
 今はまだ夜の気配の方が濃いが、東の彼方では、太陽が新たな一日の準備をしているのだろう。

 それを満足げに眺めることしばし。
 やがてアリアはカーテンを閉め直すと、部屋の隅に置かれた鏡台にふらつきながら歩み寄った。
 夜目がきくタチなので、足取りは危ないが闇の中でも家具にぶつかるようなことはない。

 磨き込まれた鏡に映るのは、どこか緩んだ少女の顔。寝起きであることを差し引いてもなお、ふわふわした雰囲気がある。
 ましてやその碧眼が潤んだように柔らかな光を湛えているので、おっとり感も倍増だ。

 アリアは髪に櫛を入れ、慣れない手つきで結い始めた。
 華奢な背中に波打つ髪は、淡い金──蜂蜜色というのだろうか。黒髪黒瞳が多いこの島国では、ちょっと珍しい容貌である。
 そのせいか、薄い純白の夜着を纏ったアリアは、まるで宗教画から抜け出た天使のようにも見える。

 しかし洗顔をすませた後にアリアが着替えたのは、可愛らしさの欠片もない麻色の服だった。まるで少年のような格好である。実用一点張りで飾り気がない。
 だが本人は嬉しそうに、「ふんふん〜」などと口ずさみながら、着心地を確かめている。どうやら初めて袖を通す衣装らしい。
 さらに何を思ったのか、クローゼットの奥から引っ張り出した外套も羽織る。

 とろんとした眼差しで自分の出で立ちを確認すると、アリアは抜け出たばかりの寝台へ戻り、その豪奢な寝台の下から小ぶりの鞄を取り出した。
 旅行者用の、ポケットがたくさんついている鞄だ。前々から荷造りしてあったらしく、程よい重みがある。
 床に腰を下ろして鞄の中身をあらためる。

 しかしその荷物がどうにもおかしい。
 着替えや洗顔用具はともかく、保存食、水筒、簡易ランプなど、まるで野外活動のような品々が詰まっているのは一体どういうことだろうか。

「準備万端〜」

 最後に財布の中を確認し、呑気な口調と共に鞄を背負う。

 ふとベッドのわきの置時計に目をやると、時刻は午前5時を回ったところだった。

 もうすぐ夜明け。あと数時間は、この部屋を訪れる者はいない。護衛という名目の監視役も、夜の間だけは席を外すことになっている。

 ――好機だ。
 アリアはゆっくりと、ためらわずに部屋を後にした。


 こうして、少女は日常に終わりを告げた。
 静かに動き出す運命の歯車。これから彼女を待っているのは苦難か悲嘆か……それは誰にも分からない。

 しかし、彼女は望んだ。
 籠の鳥であるよりも、自らの翼で翔ぶ野の鳥でありたい、と。

 これは、そんな少女の物語である。

──… * * * …──

▼ 長編小説『異端者たちの夜想曲』



 闇が蠢き、影が躍る。

 漆黒の衣に身を包んだ少女は身じろぎもせず、息を潜めて時が来るのを待っていた。
 時刻は深夜3時。周囲には鬱蒼と茂った雑木林と、瀟洒な別荘以外には何もない。

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03月08日(木)
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